長野県の温泉湯治場に、体の機能を失ってリハビリに励む人々が沢山おられます。その湯治場の庭石には「失ったものを数えるな、有るものを覚えよ」と刻まれ、人々を励ましています。
今日コロナ禍で様々なものを失い、或いはできなくなり、悶々とする日々の方も多いのではないかと思います。失うことは辛いことです。それをなかなか受け入れられないでいることがあると思います。
ある人は、失った跡だけをジーッと見つめて溜息吐息です。
ある人は失ったことに当たらぬ言い訳をして真実に見ようとしないで逃げてばかりいます。
ある人は、失ったことで他人に怒りをぶちまけています。
キリストの弟子のペテロが神殿に祈りに出かけたときのことです。足が不自由な男がペテロに金銭の物乞いをしました。その時ペテロはこう言いました。
「金銀は私にはない。しかし私にあるものをあげよう。ナザレのイエスキリストの名によって歩きなさい」(使徒3:6)
ペテロにも無いものはたくさんあったでしょう。しかし無いものを越えた「有るもの」の素晴らしさに彼は生かされていたのです。その「有るもの」とはイエスキリストのことです。このお方を知ること全てを持っていると言えるのです。
あなたも失った悲しみを憶えておられますか。イエスキリストをお知りになりませんか。祝福を祈っています。 牧師 中 西 正 夫