音声で聴くどんな状況でも
先日、私は夏風邪をひきました。喉を痛め、鼻もつまり、頭痛や吐き気に悩まされました。ところがある日、車を運転していた時、気がついたら風邪が治っていることに気づきました。暫くの間、それを意識していなかったのですが、回復したことを心から嬉しく思いました。
私たちは健康な時、それを当たり前のように感じて、何とも思っていないかもしれません。しかし、いざ体調を崩すと、健康がどんなに有難いものかということに気づかされます。
改めて考えると、私たちはお互い、とても恵まれた環境の中で生かされています。しかし、忙しい日々を過ごしていると、それに気付かず、恵みを見落としてしまうのです。時には、他の人と比較し、「あいつの方が恵まれている」と不満が出ることもあります。病気になると必死に祈りますが、いざ治るとケロッとしているというか、感謝を忘れてしまうのです。
ヨブという人物を紹介します。彼は聖書によれば、神を信じる正しい人でした。また彼は、史上最も酷い苦しみを経験した人でもあります。とても裕福でしたが、1日のうちに家族を失い、財産を奪われてしまったのです。普通であれば気が動転し、不満をぶちまけるところですが、彼はそうせず、こう言ったのです。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1章21節)
こんな大きな悲劇に見舞われても、彼が腐らなかったのは、次のことを知っていたからです。
「人は本来、何も持っていない存在だ。家族も財産も、持っているのが当たり前ではない。私が持っているものも全て与えられたに過ぎないのだ。私が一時的に管理していただけだ。」
私たちも同じです。今、私たちが持っているものは自分の力で獲得したものではありません。全てのものは、神が与えて下さったものなのです。自分で稼いだと思っている収入でさえ、仕事と健康を神が与えて下さったからこそ、得ることができたのです。
そう考えると、健康1つをとっても感謝の思いが湧いてきます。当たり前ではありません。
他にも恵みと言えるものは沢山あります。家族や友人が与えられていること、学校に行けること、仕事ができること、食事ができること、危険な事故から守られていること等々です。
視点が新しく変えられる時、私たちは「どんな状況でも」喜ぶことができ、満足することができます。ないものねだりをやめ、与えられているものを共に感謝しようではありませんか。
伝道師 後藤献四郎

