以前お招きして聖書のメッセージを聞いたB牧師の話で、深く考えさせられた話があります。16歳のある日、目の中にドス黒い血が流れ落ちて、何も見えなくなってしまったそうです。眼底出血です。色々な治療も効果なく、これから先いっさい眼の光を失う人生しか残っていない…そう診断され、絶望が支配し、死ぬことばかりを考える日々だったそうです。そんな毎日でしたが、どうしても死にきれなかった二つの理由があると聞かされました。
・一つはお母さんの言葉「母さん、あんたのためだったら何だってするよ」という言葉。
・もう一つはその経験から教会に通うようになったようですが、帰り際に、肩をポンとたたいて「S君、君のために毎日祈っているよ」と語る牧師の言葉。
この二つの言葉が、自分を死に行くことから守ってくれたと言います。

人は関わりがあってこそ命が守られることを知らされます。

一方逆の話を聞いたこともあります。白浜の三段璧で「いのちの電話」を設置して死にゆく人を救う働きをしているF牧師の話…ある日、死に場所を求めて三段璧に来た一人の男性から電話が入り、急いで現場に駆けつけ、いろいろ話を聞いてみると、この2週間、死に場所を求めてさ迷い歩いたとのこと。そこでF牧師は家族も心配されているだろうと家に電話をしたそうです。すると奥さんらしい方が「そんな人、関係ありません。放っておいてくれればよかったのに!」
ご夫婦ですから夫にも問題があったのでしょうが、少なくても言えることは、生きようと死のうと関係ない、という中では生きる力が出てこないということです。
私達は家族とどんな関係で生きているでしょうか?

「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)
「人の望むものは人の変わらぬ愛である」(箴言19:22)

 牧師 中 西 正 夫