私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。 テモテへの手紙第二 4章6節
私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
テモテへの手紙第二 4章6節
パウロは、イエス・キリストの宣教者として殉教の時が近いことを覚え、自らを旧約の「注ぎのささげ物」にたとえます。いけにえに添えて注がれるぶどう酒に自分を重ね、しかもそれを「注がれる」という受け身のことばで語ります。それは、キリストのため、また教会の信仰の礼拝に、自分の命が最後に添えられると悟ったからでしょう。受難日の今日、十字架の主のお苦しみに、私たちの祈りと歩みも添えられていきたいのです。(西原)