「孤独が連帯に変わる年に」
新年を迎えました。多くの方々が新しい夢を胸に抱きスタートを切ったことでしょう。コロナ禍の山を超えた今、友人と食事に出かけ、会社や学校に通い、大勢で集まる、かつての「普通」が戻ってきています。しかし同時に、コロナ禍によって見失ったもの、麻痺してしまったもの、そして今、普通への回帰を慌てるがゆえに見過ごそうとしているものが顕著になっています。その一つが「孤独」です。
コロナ禍を経て日本では、少子高齢化、労働環境の変化、人間関係の希薄化が急速に進み、私たちは潜在的に大きなストレスを抱えています。特に、コロナ禍の真っただ中で青春期を過ごした若い世代は、文化祭や体育祭、修学旅行といったかけがえのない思い出を奪われました。オンライン授業で築かれる人間関係は浅くなりがちでした。「普通」の世界を知らない彼らは、元の生活に戻る感覚がなく、不安定な社会で進むべき道を孤独に模索しています。
また、コロナ禍以前から外界と遮断されていた人々にとって、パンデミックは一時的に「世界が私に近づいてきてくれた」と感じる瞬間だったかもしれません。社会全体がオンラインでのつながりを模索し、物理的なバリアが壊されていきました。しかし、リアルな交流が復活しつつある今、そのような人々は再び置いてけぼりを味わい、以前にも増して孤立を深めています。
この孤独は、世代間の分断を生む要因にもなっています。年配者の中には「健康に留意しつつ元に戻ろう」と考える人も多くおられるでしょう。しかしオンラインが当たり前の若い世代に「戻るべき元の世界」はそもそも存在しません。このような小さな認識の違いが大きな溝を生み、分断を深める結果を招いています。
では、私たちはどのように向き合えば良いのでしょうか。一つの鍵は、共に過ごし、分かち合う場を提供することにあります。誰もが参加できる、温かく開かれたコミュニティが必要です。一人ひとりが「あなたはここにいていい」という安心感を得ることができれば、孤独は少しずつ和らぎます。
私たちの金剛バプテスト・キリスト教会はまさにそのような場です。地域の方々と一緒に懐かしいメロディーを歌う歌の会や、賛美フラの会、そして聖書による子どもたちへの情操教育の場として長年用いられています。さらに今年から「ウィズ食堂」という、共に集い、食事をし、語り合う、子ども食堂開催の準備も進んでいます。教会では世代や境遇を超えたつながりが生まれ、孤独を抱える一人ひとりが自分の居場所を見つけられることを願っています。
孤独を経験すること自体は避けられないものですし、時には必要なことでもあります。孤独は私たちが自分自身と向き合う時間を与えてくれます。そしてその時こそ、「決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と約束してくださるイエス・キリストの存在に気づく機会ともなります。イエスと共に歩む者は「孤独」を感じることがあったとしても、決して「孤立」することはなく、教会において多くの友と「連帯」して人生を共に歩みます。富田林市に住む、お一人おひとりが孤独を乗り越え、イエス・キリストの愛に溢れた温かい連帯の中に歩まれる、新しい年を過ごされますように。
牧師 西 原 智 彦