「絆で築く境界なき教会」
なぜ人類は、21世紀になっても戦争をやめることができないのでしょう。ロシアによるウクライナ侵攻は2年以上が経ち、イスラエル・パレスチナ戦争も悪化しています。異なる文化、異なる言語、異なる民族、異なる歴史、異なる風習、異なる価値観、それらが対立して自己主張を強め、他者批判が始まり、言い争いが起き、憎しみが強まり、そして喧嘩が始まる。何年経っても、何十年、何百年、何千年経っても人類は変わりません。変わることができません。
異質な存在との境界に戸惑う姿は、海の向こうでおきているだけではありません。日本にもたくさんの外国人の方々が来られ、すでに日本経済の大切な一部となってくださっています。そして富田林市も例外ではありません。総人口約10万7千人のうち、約2%の2316人が外国籍の方々です(今年4月現在)。私の住んでいる金剛団地にはネパールからの留学生が約300人おられ、阪南大学やUR都市機構の働きかけで交流会が開かれ、文化の架け橋を模索しています。
日頃、慣れていない事や人に出会ったとき、私たちはとっさに恐怖を感じ、身構えます。「もしかしたら異質な存在は私に害を加えるかもしれない」という、根拠のない恐怖に駆り立てられ、毛嫌いし、排他的になる。そういう傾向がだれにでもあります。それは率直な感情ですから、知識や命令によって変えられません。「人としてこんな感情を抱くなんて、自分はどうなってるんだ」と罪悪感を覚える人もおられるかもしれませんが、どれほど自分を卑しめても、無意識での感情が変わるわけではありません。
そんなわたしを、もし変えるものがあるとすれば、それは「愛」です。「異質な存在」ではなく、顔と名前がある「個人」と向き合い、目の前の人を愛すること。「外国人は・・・」と集団を主語にして話していると、私たちはいとも簡単に集団を一つの「モノ」にまとめ上げ、境界線を設け、全体を排除し、憎むことすらしてしまいます。しかし、一人の「個人」と向き合うとき、私たちはその存在に貼られた様々な肩書を取り去り、レッテルを剥がして、神が愛されている一人の個人として対面することができるようになります。
キリスト教会は二千年前から、神の愛によって民族の垣根を乗り越える努力を積み重ねてきました。ギリシャ人とユダヤ人の問題を乗り越えようとした人たちの言葉が聖書にこう記されています。「キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たちに二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し・・・二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
あなたの心の奥底に、異質な存在への恐怖があることを認められるならば、ぜひキリスト教会にお越しください。イエス・キリストの愛の絆で、心の境界を取り去る場所、それが教会です。
牧師 西 原 智 彦

