「セミの大合唱」

音声で聴く

蝉の大合唱が鳴り響く、暑い夏がやってきました。私の耳にはクマゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミの音色が聞こえてきます。月末にはツクツクボウシ、そして初秋にはヒグラシの鳴き声が聞こえてくるのでしょうか。朝早くから夜遅くまで、与えられた命の限り声を張り上げている姿には、暑さや騒々しさを越えた、与えられた今この時をひたすらに泣き叫ぶ、心の叫びを感じます。様々な人が蝉の声に自らの人生を重ねて聞き入っていることでしょう。

歌手の岩崎宏美さんは「パパにそむいて」という歌謡曲において、恋人のもとへ向かう女性を諌めようとする父親の声をかき消す声として蝉の鳴き声を「蝉しぐれ」と表現しました。真夏のクマゼミの大合唱を想像して作詞されたのかもしれません。また、石川さゆりさんは歌謡曲「ひぐらし」において、移ろいゆくはかなさを蝉の鳴き声に見出し、薄れ消えゆく恋心と重ねてその声を「焦がれ泣き」と表現しました。夏の終りを告げるヒグラシの声を想ったのかもしれません。

私は蝉の声に、はかない時であっても、与えられた命の限り一生懸命生きる力強さを感じます。蝉は与えられた命を慈しみ、一瞬一瞬を全力で生き、命を与えてくださった神を賛美しているように、私は感じます。蝉をはじめ、世界のすべてが命を与えたもう神を称えている。そう聖書は語っています。

天は喜び 地は小躍りし
海とそこに満ちているものは 鳴りとどろけ。
野とそこにあるものはみな、喜び踊れ。
そのとき 森の木々もみな喜び歌う。主の御前で。
(詩篇96篇11,12節)

毎年変わらぬ蝉の声は、暑い夏をよりあつく感じさせます。皆様にとって今年の蝉の声は、何かを振り切るための蝉しぐれでしょうか。それとも、去りゆくわびしさを味わう焦がれ泣きでしょうか。神に与えられた一瞬の命を慈しんで、力の限り神を称える蝉の歓喜の声を聞き取り、暑さの真っ只中にあって命を守ってくださる真の神を賛美する夏を過ごされますよう、心よりお祈りいたします。

牧師 西 原 智 彦