「良かった探しをしよう!」
先月、私は遅い夏休みを頂き、帰省しましたが、到着した翌日にコロナに感染していたことが判明しました。観光もできず、妻や息子にも順番に移してしまい、滞在を延長せざるを得なくなりました。家族や職場の方々に負担をかけてしまい、暗い気持ちになりました。私にとって感染は想定外の出来事であり、ウイルスもコントロールすることができません。楽しみにしていた予定が壊れてしまい、正直、怒りの気持ちがわいてきました。
しかし、その一方で、多くの良いことがありました。その一部をお伝えしますと、まずは妻と息子以外に感染が広がらなかったこと、家族数名から多くの差し入れを頂いたこと、教会の先生方をはじめ、多くの教会員が私と家族の回復のために祈って下さったこと等々です。とても幸せを感じました。病気になったからこそ味わえた恵みでもあります。想定外ではありましたが、失った以上の多くの良いものを与えられました。感謝の気持ちでいっぱいです。
私がこのような時にいつも感じることは、神が私を愛しておられ、多くの人を通して、ご自分の愛を私に示して下さっているということです。不機嫌になっていた自分が恥ずかしくなります。嫌なことを数えるのは簡単なことです。しかし、物事がうまくいかず、憂鬱になるような時にこそ、気付かない間に受けている恵みを数え、感謝の心を持つことができれば、どんなに良いでしょうか。
聖書に、このような言葉があります。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを、何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)」どういう訳か、私たちはネガティブな出来事に関しては敏感ですが、ポジティブな出来事に関しては鈍感な面があるようです。今、与えられている家族も、健康も、食事ができることも当たり前のことではありません。すべて、私たちが意識していないだけで、主(神)がくださった良い贈り物(ギフト)なのです。
想定外のことが起こり、心が乱されるそのような時にこそ、今、与えられている良いものを思い巡らし、感謝してみませんか?ご一緒に「良かった探し」をしようではありませんか!それだけでも、心が前向きになれるように思います。自分が変われば、周りの悲しんでいる方々を励ますことにも繋がります。主がくださった良いものを忘れないようにしましょう。
牧師 後 藤 献 四 郎