「それでも、人生は変えられる」

音声で聞く

今まで多くの方から悩みをお聞きしてきました。相談者が「やはり私の性格に問題があるんですよね…性格って変えられますか」と溜息混じりで尋ねられます。それを聞いて私はこう答えます。「性格は神様がお造りになったものですから基本的に変わりません。でも人生は変わりますよ」と。

ここでクエスチョンです。以下の言葉は誰が言ったでしょう?
①「31才になって私に望ましいのは死だけです」
―思いつめていますね。これは看護士の鏡と言われたナイチンゲールの日記の言葉です。
②「誰が惨めだと言って自分ほど惨めな人はいない」
―自己否定の言葉ですね。これは米国で最も尊敬された大統領、奴隷解放で有名なリンカーンです。
③「私ほど怒りっぽく僻み屋でひねくれた者はいない」
―これも自分の性格に悩み切った言葉ですね。これは前の五千円札の肖像、教育、国際関係功労者の新渡戸稲造の言葉です。

この三人は自らの「暗い、短気な」性格に悩んでいた人たちです。でも大きな世界的貢献をした人たちでもあるのです。

どうしてそんな風に変えられるのでしょうか。ある人は、「彼らは特別に才能があったからだ」と言います。確かに能力があることは確かでしょうが、それは決定的なことではありません。それ以上に大切なことは、視点が変わる事です。つまり自分自身の性格や環境だけを見て溜息をついたり、時間で変わる他人の評価に一喜一憂する生き方から、自分の欠けや短所をさえ用いて祝福と変える造り主―全能者であり愛の神を見上げる視点を持つことなのです。それが祝福される人生に変えられるのです。

「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。」(第Ⅱコリント5:17)
この暗い世の中で光をともされるキリストをあなたも知られませんか?
お祈りしています。

牧師 中 西 正 夫