「愛されるより、愛すること」

昨年から、田中角栄氏がブームになっています。日本が生んだ天才、リーダーシップの神とまで呼ばれています。私は角栄氏が現役の時代を知らないため、書店で本を購入し、読んでみました。様々なことを教えられ、感銘を受けましたが、私の心を特に打ったのは、「弱い人の立場に立って、その人のしてほしいことをする」という内容の部分でした。

首相まで経験した人物ですが、悲しむ人にはそっと寄り添い、葬儀には真っ先に駆けつける人柄が、人々に愛された理由というのです。普通の弔問客がするだけの事で終わらず、そこからさらに踏み込んで立ち回り、遺族を具体的に助けていく。これが人々の心を掴みました。

後に失脚し、首相の座を退きましたが、大変人情の厚い人物として、今も尊敬されています。

ところで私は、角栄氏の本を読みながら、“ある人”について思い出さずにはいられませんでした。その方とは、イエス・キリストです。聖書によれば、イエス様は聖人の1人や特定の分野における神のような存在ではなく、人類の救い主であり、神の子そのものです。

イエス様は12弟子の足を洗われ、孤独な者の友となられ、友人の死に涙を流されました。

蔑まれた人々と一緒に食事をし、彼らを擁護し、彼らと過ごす時間を惜しまれませんでした。病人や障害を持つ人々に心を砕かれ、伝染病を持つ人々にも、直接触れて病を癒されました。

パウロはこう語っています。「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです(Ⅱコリント521節)。」

イエス様は罪を犯したことがないにも関わらず、十字架にかかられ、私たちの代わりに罪の裁きを受けて下さいました。それは、この方を信じる人が罪の裁きを免れ、永遠のいのちを得るためであるということなのです。

イエス様は、愛を語られただけでなく、文字通り命を捨てられ、愛を示して下さいました。

例え、あなたがこの方に対して関心がないとしても、「私とは関係ない」と退けたとしても、イエス様のあなたに対する愛は、決して変わることがありません。

あなたは、神の子が命を捨てられるほど価値のある存在なのです。これまで2,000年の間、数えきれない人々がキリストを通して、生きる力を見出し、人生を持ち直し、癒しと回復を体験してこられました。あなたにも、この方の真実の愛をぜひ知って頂きたいと思います。

伝道師 後藤献四郎