八月は休暇をもらって故郷に帰る家族も多いことでしょう。
「ふるさとの山に向かいて言うことなし。ふるさとの山はありがたきかな」
これは石川啄木の歌ですが、文句なく「そうだなあ」と実感される方も多いのではないでしょうか。気ぜわしい「日常」から解放されて、何の気かげなく、のんびりと過ごせる故郷は、まさに解放の安らぎでしょう。新幹線で故郷に帰る人々でギュウギュウ詰めになっても我慢できるのは、帰る故郷を思えばこそでしょう。それほど気兼ねしなくてもよい解放感はありがたいものなのだと思います。
ところで、聖書にも「魂の帰郷」について記されているのをご存知ですか?
「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰ったのです」
(第1ペテロ2章25節)
聖書によれば、人間は元々命の創造者である神様によって造られた存在なのです。それにもかかわらず、人は創造者である神様から離れて羊のようにさまよっている、と語っています。人が生きる意味も目的も定まらず、不安、焦り、緊張の中で生きているのは、創造者である神様から離れているからだというのです。ですから、なすべきことは「魂の牧者である神様のところに帰ること」だと教えています。
その道を開いてくださった方が神の御子キリストなのです。
キリストはこう言っておられます。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」
(ヨハネ14章6節)
ちょうど故郷に帰る時、束縛から解放され、安らぎを与えられるように、あなたに「魂の帰郷」があればどんなに幸いでしょう。八月の帰郷はせいぜい数日でしかありません。しかし魂の帰郷はキリストをとおして神様に立ち返った時から永遠なのです。あなたもそれを経験されませんか。 
お祈りしています。                牧師 中 西 正 夫