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あなたが人生を捨てても、人生はあなたを捨てない
―金剛バプテスト・キリスト教会―
 

メッセージ
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2017年1月のメッセージ

「新しい視点で、新しい年を」
音声で聞く。

「新しい視点で、新しい年を」

あけましておめでとうございます。新年を迎えましたが、今年はどんな年にしたいですか。「2017年は、今まで以上に良い年にしたい。」誰もがそう願うのではないでしょうか。

新たな思いで頑張るのは素晴らしいことですが、大抵の場合長続きせず、暫くすると不満やストレスが溜ります。周囲の環境が大きくは変化しないためです。そのうち意欲も下がり、新年の決心も揺らぎます。これまでと同じです。新しい生き方を始めるには、新しい思考を持たなければなりません。すると、環境が変化しなくても、喜びと感謝をもって生きることができます。聖書は私たちに、その新しい思考(視点)を提供してくれます。

先日、私はイ・ヒアさんという韓国人女性の記事を読みました。彼女は生まれつき腕が短く、下半身も両脚とも膝から下がありません。幸い、母親に勧められ、5歳からピアノを始めることになりましたが、それは私たちの想像を絶するような大変なことでした。というのも、彼女には指が左右とも2本しかないのです。アザラシ肢症というそうです。心と体も弱り、ピアノからも遠ざかる思春期の時期もありました。どんなに辛い日々だったことでしょう。

しかし彼女は今、韓国はじめ、日本や世界各国で活躍しています。インタビューにも笑顔で答え、彼女の演奏を聴いた多くの人々が「希望に満ちた音色だ」と口にします。その演奏のパワーはどこから来るのか?その背景には、聖書から得た新しい思考(視点)があります。

聖書には、こんな話があります。「弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生、彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』 イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。』」(ヨハネ9章2-3節)ヒアさんは聖書からこの事を知りました。「身体の障害というのは罪と関係がない。身体の不自由な自分にも、神の計画があるのだ。」

彼女のビジョンは「『神様はいない』という人に神様が生きていることを伝えること」です。実際、彼女を通して神様を知った人々は世界に沢山います。彼女は今、生き甲斐と喜びを得、彼女にしかできない方法で希望を伝えているのです。新しい視点を聖書から受けたのです。

2017年、神はあなたにも素晴らしい計画を立てておられます。あなたもぜひ、聖書を手に取られ、神が用意しておられるあなたへの祝福を受け取って下さい。心からお祈りします。

伝道師 後藤献四郎

12月メッセージ

「素晴らしい喜びのメッセージ」音声で聞く。

早いもので今年も最後の月になりました。12月は色々なことのしわ寄せもやってくる月でもありますね。思うようにいかなかった、光が見えない、と失望落胆、時に涙する時もあるかもしれません。でも2千年前の最初のクリスマスの夜に全世界に発信されたメッセージが聖書に記されています。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、あなたがたのための救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2章10,11節)


それはいかなる人にももたらされる素晴らしい喜びのメッセージなのです。
このキリストがもたらして下さる「素晴らしい喜び」を以下に記しますと:
1.人類最大の不安である死に打ち勝つ永遠の命の喜び
2.あなたのためなら命を投げ出すほどの大きな愛で愛して下さる喜び
3.死後にある神の裁きから解放する罪の許しの喜び
4.あなたの人生の孤独や恐れの時にも共にいて解放して下さる喜び
5.不安な問題の中にも消えない平安が与えられる喜び
これがイエス・キリストが十字架と復活によってもたらして下さったあなたに贈る「素晴らしい喜びメッセージ」なのです。しかもこれらは無代価なのです。
ぜひあなたもクリスマスが祝われる12月の日曜日、教会においでになってこの素晴らしい喜びをご自分のものとされますようにお祈りいたします。
        牧師 中 西 正 夫

11月のメッセージ

「最も身近な芸術」音声で聞く。

心地良い季節になりました。読書やスポーツに最適のシーズンですが、あなたはどんな事に取り組んでいますか。秋はまた“芸術の秋”でもあります。紅葉を見に出かけたり、美術館に足を運ぶ人も多いでしょう。大自然や美しい絵を見るのは楽しく、目の保養にもなります。
しかし、わざわざ出かけなくても、もっと身近な所にある芸術作品をご存知ですか?それは、あなたの体です。「私はそんなにイケメン(美人)ではない。」「太っていてスタイルが悪い」と思われるでしょうか。私も決してルックスやスタイルが良い訳ではありません。でも、自分の体を見て、すごいなと思います。それは私たちが皆、非常に複雑で精巧にできているからです。あなたも驚くべき能力を持っているのです。例えば…、
あなたの体は60兆(60,000,000,000,000)もの細胞でできています。あなたの指は1000分の1mmの厚さの違いを判別できます。あなたの鼻は10,000種類の匂いを嗅ぎ分けられます。あなたの脳は100兆(100,000,000,000,000)もの事実を記憶することができるのです。
これらはほんの一例に過ぎません。人体を知れば知るほど、その背後に優れたデザイナーがおられることが分かります。偶然にできたとは到底、考えられないからです。聖書は、そのデザイナーを神だと語っています。神はあなたを造り、命を与え、生かしておられるのです。
あなたは何か作品を作られたことはありますか?プラモデルであれ、絵画であれ、ご自分が手がけたものなら、愛おしく思われるでしょう。ましてや、神はご自分のかたちに造られたあなたを、どれほど愛おしく思っていることでしょうか。聖書には、こう書かれています。「あなたの神、主は…喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」(ゼパニヤ3:17)
あなたがご自分の作者を知り、あなたに対する思いを知られる時、日々の生活に大きな変化が生まれます。あなたは生きる意味と目的を見出し、毎日が喜びと感謝に変えられるのです。秋は芸術の秋であり、また読書の秋でもあります。ぜひ聖書を手に取り、読んでみて下さい。あなたに神の祝福がありますように!

伝道師 後藤献四郎

 

10月のメッセージ

「あなたという存在は神に起源がある」音声で聞く。

1900年代前半に活躍したキリスト教指導者に賀川豊彦という人がいました。教会だけではなく社会事業にもずいぶん活躍しました。消費者生活協同組合、略して「生協」、これも彼が始めた活動でした。その小説「死線を越えて」は新聞にも連載されベストセラーにもなったほどです。ところが彼は中学生の時母親が夫婦喧嘩の腹いせもあってかとんでもないことを言われてしまいます。「アンタは母さんの子じゃないよ。父さんが外で生ませた妾の子だよ」この言葉で彼は当時自殺を計ろうとさえするほどでした。「自分は愛されていない。自分はこの家に生まれてはいけない人間だったんだ」
何がショックといって、自分の価値を見いだせず、生きる意味が分からなくなることほどショックはないでしょう。
今、多くの若い人が、自分の育った環境や親を受け入れられず又生きる価値を見いだすことができないで悩んでいます。しかも中学生や高校生の自殺が多くなってきているのです。彼らは死にたくて自殺するのではなく、生きたいのに生きる意味がわからないといって死んでいくのです。
これを聞いたり読んだりしてくださる人の中で、社会で無視されたり、虐待されたり、或いは何不自由なく暮らしていても、自分は何の価値もない、生きる意味が分からないと嘆いている人がいるでしょうか。そういう人がいたら、聖書のこの言葉を聞いて欲しいのです。
「私達は神の作品であって、良い行いをするためにキリストイエスにあって造られたのです」(エペソ2章10節)
聖書によれば、あなたという存在は世界でたったひとりのかけがえのない存在として、愛に満ちた全能の神によって造られたのです。あなたという存在は神に起源があるのです。しかも生きる目的があります。「良い行いをするために造られた」とあるようにあなたにしかできない良い行いをするためにあなたは地上に生まれてきたのです。
是非あなたを造られた神様を知っていただきたいと願っています。

牧師 中西正夫

 

9月のメッセージ

「あなたは世界の光」音声で聞く。

この夏、神奈川で恐ろしい事件が起こりました。障碍者施設で19人の命が奪われたのです。犠牲者のことを思うと、大変心が痛みます。遺族の方々に、深い慰めと平安を祈ります。


事件の後、糸賀一雄氏の働きが改めて注目されています。彼は「社会福祉の父」と呼ばれ、日本で障碍者支援に取り組んだ第一人者です。彼は仲間と共に近江学園を設立しましたが、生前に掲げていた言葉は、今も引き継がれています。「この子らを世の光に」です。


「この子らに世の光を(障碍者を憐れんでやってほしい)」と言っているのではありません。「この子らを世の光に」です。それはこのような意味だそうです。「誰もが皆、個性(その人独特の輝き)を持つ。1人1人はかけがえのない存在だ。この子たちの個性を受け止め、それを輝かせていこう。1人1人が世の光となる、素晴らしい社会を目指して。」


あなたは誰かの言葉に傷つけられ、自信をなくしたことはありませんか。人に冷たく扱われ、悲しい思いをしたことはないでしょうか。聖書は、あなたを「神の作品」と語っています。神は、あなたを含む全ての人をご自分のかたちに造られた。故に失敗作はないと言うのです。「誰があなたを否定したとしても、あなたに何らかのハンディキャップがあったとしても、あなたはそのままで素晴らしい。神があなたを良しとされたから。」聖書はそう語ります。


この事が分かると、あなたは自信を取り戻すことができます。弱さも含めた自分をまるごと受け入れることができ、自分のことが好きになれるのです。あなたも、あなたを造られた神をお知りになりませんか。神はあなたを、あるがままで愛しておられます。


糸賀氏はクリスチャンですが、彼の活躍の背景には聖書が深く影響しています。キリストは、こう言われました。「あなたがたは世界の光です。」(マタイ5章14節)「あなたがたは世界の光になりなさい」と言われたのではありません。「あなたがたは、既にこの世界にあって光の存在である。その光を輝かせなさい。光を隠してはいけない」と言われたのです。


夜空の月は太陽の光を受けて輝いています。あなたも、あなたを造られた神から光を受ける時、輝きを放つことができるのです。現代では、暗いニュースが後を絶ちません。しかし、社会が暗ければ暗いほど、あなたの光は一層輝きます。あなたの光は周囲の人々を照らし、希望を与えることができるのです。

伝道師 後藤献四郎

 

8月のメッセージ

「魂の帰郷は済みましたか?」音声で聞く。

16,8「魂の帰郷は済みましたか?」

八月は休暇をもらって故郷に帰る家族も多いことでしょう。

「ふるさとの山に向かいて言うことなし。ふるさとの山はありがたきかな」

これは石川啄木の歌ですが、文句なく「そうだなあ」と実感される方も多いのではないでしょうか。気ぜわしい「日常」から解放されて、何の気かげなく、のんびりと過ごせる故郷は、まさに解放の安らぎでしょう。新幹線で故郷に帰る人々でギュウギュウ詰めになっても我慢できるのは、帰る故郷を思えばこそでしょう。それほど気兼ねしなくてもよい解放感はありがたいものなのだと思います。


ところで、聖書にも「魂の帰郷」について記されているのをご存知ですか?

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰ったのです」

(第1ペテロ2章25節)


聖書によれば、人間は元々命の創造者である神様によって造られた存在なのです。それにもかかわらず、人は創造者である神様から離れて羊のようにさまよっている、と語っています。人が生きる意味も目的も定まらず、不安、焦り、緊張の中で生きているのは、創造者である神様から離れているからだというのです。ですから、なすべきことは「魂の牧者である神様のところに帰ること」だと教えています。

その道を開いてくださった方が神の御子キリストなのです。

キリストはこう言っておられます。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」

(ヨハネ14章6節)


ちょうど故郷に帰る時、束縛から解放され、安らぎを与えられるように、あなたに「魂の帰郷」があればどんなに幸いでしょう。八月の帰郷はせいぜい数日でしかありません。しかし魂の帰郷はキリストをとおして神様に立ち返った時から永遠なのです。あなたもそれを経験されませんか。 

お祈りしています。                牧師 中 西 正 夫

 

7月のメッセージ

「ゴールデンルール」音声で聞く。

私は最近、「人を健康で幸せにしてくれるものは何か?」という内容の番組を観ました。多くの人は「あなたの最も大切な生きる目的は?」と尋ねられると、「富を蓄えること」と答え、若い世代の子たちは「有名になること」と答えるそうです。

現在、ハーバード大学では史上最長の研究が行われています。それは75年間、700人超の男性を追跡し、仕事や家庭生活、健康などを記録し、幸福になる秘訣と健康の維持に何が必要かを研究するというものです。調査対象には、かつてのエリート学生や、貧困家庭で育った少年たちが含まれ、医師や弁護士になった人、様々な病気にかかった人もいます。

この75年間の、何万ページに及ぶデータからはっきり分かったことは、人を健康で幸福にするのは富や名声や、仕事ではないということです。それは、周囲の人々と良い関係を築くこと。つまり、良好な人間関係に尽きるというものでした。

ところで、良好な人間関係を築くのは何と難しいことでしょう。これは、私たち現代人がお互いに感じていることです。これがうまくいったら、どんなに毎日が楽しくなるだろうと思いますが、どうしたらいいかわからないというのが、実感ではないでしょうか。

ここで一つ、聖書の言葉を紹介します。これは、イエス・キリストが言われた言葉です。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい(マタイ7章12節)。」これは、人間関係を良好にしてくれる秘訣で“黄金律”とも呼ばれています。「自分だったら、どうしてほしいか」と考え、それを実行に移すということです。

あなたは家族から、どんな風に接してほしいですか。友人と関係がこじれた時、その友人からどんなことをしてほしいと期待しますか。相手の立場に立ち、考えてみるというのはとても大切です。「私だったら、○○してほしいな」ということを想像してみましょう。多くの場合、相手はあなたからの働きかけを待っています。そして、それを実行した時、好意的に受け止めてくれる場合が多いのです。

誰かのために何かする時、それはその人に喜ばれるだけでなく、あなた自身の健康と幸せにも繋がることをやっているのです。

神の恵みが、あなたにありますように。

伝道師 後藤献四郎

 

6月メッセージ

「あなたという存在は神に起源がある」音声で聞く

1900年代前半に活躍したキリスト教指導者に賀川豊彦という人がいました。教会だけではなく社会事業にもずいぶん活躍したのです。消費者生活協同組合、略して「生協」、これも彼が始めた活動でした。その小説「死線を越えて」は新聞にも連載されベストセラーにもなったほどです。そんな賀川豊彦ですが、彼が中学生の時、母親に夫婦喧嘩の腹いせもあってかとんでもないことを言われてしまいます。「アンタは母さんの子じゃないよ。父さんが外で生ませた妾の子だよ(不快語だが当時の表現のまま敢えて表現した)」この言葉で彼は当時自殺を計ろうとさえするほどでした。「自分は愛されていない。自分はこの家に生まれてはいけない人間だったんだ」何がショックといって、自分の価値を見いだせず、生きる意味が分からなくなることほどショックはないでしょう。

今、多くの若い人が、自分の育った環境や親を受け入れられず又生きる価値を見いだすことができないで悩んでいます。日本は残念ながら「自殺大国」です。しかも中学生や高校生の自殺が多いのです。彼らは死にたくて自殺するのではなく、生きたいのに生きる意味がわからないといって死んでいくのです。

これを聞いたり読んだりしてくださる人の中で、社会で無視されたり、虐待されたり、或いは何不自由なく暮らしていても、自分は何の価値もない、生きる意味が分からないと嘆いている人がいるでしょうか。そういう人がいたら、聖書のこの言葉を聞いて欲しいのです。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリストイエスにあって造られたのです」(エペソ2章10節)

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)


聖書によれば、あなたという存在は世界でたったひとりのかけがえのない存在として、愛に満ちた全能の神によって造られたのです。あなたという存在は神に起源があり、あなたの有るがままであなたは愛されているのです。しかも生きる目的があります。「良い行いをするために造られた」とあるようにあなたにしかできない良い行いをするためにあなたは地上に生まれてきたのです。

是非あなたを造られた神様を知っていただきたいと願っています。

牧師 中 西 正 夫


5月メッセージ

「本当の豊かさ」音声で聞く

“世界一貧しい大統領”の、ムヒカ前ウルグアイ大統領が先日、来日しました。彼の演説には多くの人々が共感し、日本で出版された絵本もベストセラーになっています。私も、早速、演説を聞いてみました。簡単にいうと、こんな事を語っています。

「これまで私たちは物質的な豊かさだけを追い求めてきました。しかし、果たして本当に豊かになっていると言えるでしょうか。今や格差はますます広がり、地球環境は酷く破壊されています。私たちは自分たちの考え方やライフスタイルを変えなければいけません」過去の賢人の言葉も引用しています。「貧しい人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲を持ち、どれだけ獲得しても満足しない人のことだ。」

なるほど、その通りだと思いました。豊かさを追い求めた結果、様々な支払いに追われ、仕事に忙殺され、気がつけば貴重な時間が過ぎ去っていたということはないでしょうか。多くの電子機器に囲まれ、生活は便利になったかもしれませんが、どういう訳か、あまり幸せではないのです。ムヒカ氏の演説は伝説のスピーチと言われていますが、これは聖書が2,000年前から語っていることでもあります。パウロという人は、こう語っています。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。(Ⅰテモテ6章7~8節)

先日、熊本で大地震がありましたが、私たちはいつ災害に直面し、家族や持ち物を失うかわかりません。「贅沢は悪だ」と言いたいのではありません。今までの生き方を見直し、新しい思考を取り入れる時に「あらゆるモノを手に入れなくても、幸せになれる」ということなのです。それは、聖書が語る考え方を持つことです。今、「もっと多くを得れば、もっと幸せになれるというのは間違いだ」と気づき始めている人々が増えています。

ムヒカ氏の演説は感動的ですが、では、抑えられない欲望をどうすればいいかについては何もコメントしておられません。ここで再び、パウロに語ってもらいましょう。彼はこう言っています。「私にとって得であったこのようなもの(家柄・経歴など)をみな、私はキリストの故に損と思うようになりました。それどころか、…キリスト・イエスを知っていることの素晴らしさの故に、一切のことを損と思っています」(ピリピ3章7~8節)

モノに囲まれても不幸と嘆く人々に対し、聖書は「セレブでも得られない本当の豊かさ」をもたらしてきました。あなたにもこのキリストをぜひ知っていただきたいと思います。

伝道師 後藤献四郎

4月メッセージ

「死に打ち勝たせるもの」音声で聞く

ある日コンビニでケーキコーナーを見ていると「イースタープリン」とラベルが貼ってあり、ケースの中には目玉焼きのようなものがのっているのです。後で食べてみて分かったのですが、目玉焼きではなくカスタードクリームで作られていて、とても美味しかったのですが、どうしてイースターとわざわざ名づけられているのかというと、イースターは死に打ち勝つ新しい命が始まったキリストの復活を記念しており、卵は正に命の象徴だからでしょう。 

さて人生で最大の不安と恐れは何と言っても死ぬという事だろうと思います。「吾輩は猫である」という小説で有名な明治の文豪夏目漱石は48歳のとき娘さんを失っているのですが、日記にこう書いています。
「昨日は通夜、今日は葬式、するとすれば明日骨上げ…多忙である。しかし全ての努力をしたのちで考えると全てが無益の努力である。死を生に変えるのでなければ全ては無益である。こんな遺恨な事はない」

名のある小説家という肩書ではなくひとりの父親としての心境がこちらにも切々と伝わってきて多くの人が共感する心境だと思うのです。死は全ての希望をなくさせるものです。しかしここに素晴らしい希望を語る一冊の本があります。聖書です。聖書を見るとこの「死を生に変える努力」を見事に実現したイエス・キリストという方を語っています。キリストはこう語っておられます。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)

私は牧師としてこの40年の間多くの方の臨終に立ち会ってきましたが、死の時に永遠の命への希望を持っているかどうかは、実に大きな違いをもたらします。あなたも教会に行かれて「死に打ち勝たせるもの」を是非お知りくださり、平安な人生を得て頂きたいとお勧めいたします。

牧師 中西正夫

3月メッセージ

「どこを、どう飛んだのか」音声で聞く

3月になりました。年度末を迎え、引越しや人事異動、新生活への準備に追われている方も多いと思います。新たな出会いに期待する一方、やはり気になるのは人間関係です。現代は競争社会。私たちは皆「○○には負けたくない。もっと頑張らなきゃ」と必死です。いつもライバルに勝てたら良いのですが、負けるとたちまち劣等感に陥ってしまうのです。

AKB48の「365日の紙飛行機」という曲をご存知ですか。人生を“紙飛行機”に例えた歌ですが、歌詞の一節にこんなのがあります。「その距離を競うより、どう飛んだか、どこを飛んだのか。それが一番、大切なんだ。さあ、心のままに。365日。」これはとても良い歌だなと思いました。私たちは普段、誰が一番良い成績を修めたか、多くの業績を上げたか等、お互いの“飛距離”にばかり焦点を当てています。このような生き方は、トップに立てる人には優越感を与えますが、残りの大半の人には劣等感を与えます。また、トップに立てた人でさえ、安心することはできません。いつ自分より優れた人物が現れ、その座を奪われるかわからないからです。大事なのは“飛距離”ではありません。“どこを、どう飛んだのか”です。人は皆、それぞれがユニークな存在であり、飛んでいるコースも、飛び方もそれぞれ違うのです。結果だけに目を向けるのではなく、それぞれの個性やプロセスに目を向ける。これこそ、人間関係を良好にする秘訣ではないでしょうか。

パウロは有名な伝道者ですが、2,000年も前から既にこう語っています。「私たちは…誰かと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。…彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです(Ⅱコリント10:12)。」

英才教育を受け、新約聖書の半分近くを書いた博学な人物ですが、彼はこうも語っています。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです(Ⅰコリント8:2)。」本当に“賢い人”というのは、謙遜さを身につけている人だということでしょう。最後にもう一つ、彼の言葉を紹介します。「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分より勝っていると思いなさい(ローマ12:10)。」私たちが皆、お互いにそう思うことができたなら、人間関係はどれだけ改善されていくでしょう。自分以外の人をライバルとしてではなく、1人の人として敬意を払い、その人の長所に注目する。ここから、麗しい人間関係が始まるに違いありません。

あなたの新しい営みの上に、神の祝福が注がれますように。

伝道師 後藤献四郎

2月メッセージ

「人は病気で死ぬのではない。寿命で死ぬのです」音声で聞く

現代は「健康志向の時代」で、テレビでも雑誌でもその類の資料が氾濫しているほどです。もちろん、あなたも健康に気を遣っておられると思います。それは、できるだけ健康に生きて人生を楽しみたい、少なくとも重い病では死にたくない、と思うからでしょう。もちろん私もそのひとりです…。でも牧師として聖書を学んできて思うことはこういうことです。

「人は病気で死ぬのではありません。寿命で死ぬのです」

こんな事を言うと「だって人は病気で死ぬではないですか」と言われるでしょう。それはその通りですが、多くの方の身体や心の病や健康ということに接しながらつくづく思わされてきたことは、人はどんなに重い病になっても、神の時が来ないなら死なないのです。また逆に、どんなに健康であっても、神の時が来たら、死ぬのです。

キリストはマタイの福音書6章27節でこう言われました。

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができますか」

だからこのことから次のことが言えるのです。

第1に、自分の命を守り支配される真の神様がおられるということ。

第2に、どういう形で人生が終わろうとも、それは天寿を全うした、ということ。

第3に、だから自分の命のことで思い煩わない、ということです。

このキリストのお話にはもう少し先があります。

「だから神の国と、その義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます」 

つまり、神の前にキリストへの信仰を通して義とされる罪の赦しを得ることを先ず第一に求めていきなさい、ということです。あなたも自分の命のことと生活に必要なことをすべて満たしてくださる神さまがおられることを知られて平安な人生をお知りになりませんか。祝福をお祈りしています。                         

牧師 中 西 正 夫

2016年1月のメッセージ

1月メッセージ「失敗しても大丈夫!」音声で聞く

あけましておめでとうございます。毎年この時期になると、多くの人が新年の目標を立てると思います。「○○を達成する」「○○を取得する」など、皆、真剣そのものです。しかし、半年が過ぎ、年末頃になると、決まってがっかりさせられることはないでしょうか。「あぁ、今年も○○ができなかった。○○もうまくいっていない。私ってホンマにアカンなぁ」と。


ジェイソン・スタンリッジ選手をご存知ですか?以前、阪神タイガースで活躍していた選手ですが、興味深いことを語っています。彼は、友だちから3つの“D”を学んだそうです。「それはDiscipline(訓練)、Diligence(勤勉)、Desire(願望)です。(語学でも楽器でも、)まずはそれに取り組んで自分を訓練し、3週間それを勤勉にやり遂げて習慣にする。すると、いずれは、それがしないではいられない願望になってくる」というのです。


「3週間続けるのも難しいな…。」そう感じるのは私だけでしょうか。スタンリッジ選手はどうしているのでしょう?彼は野球選手として、常に勝利を目指して一生懸命プレーしていますが、試合ともなれば、当然勝利ばかりではないはずです。敗北して悔しい思いをすることも多いことでしょう。しかし、彼は「たとえ負けても心の底から動揺することはない」と語っています。それは一体、どうしてなのでしょうか?


「強くて良いチームの条件の一つは、試合結果に一喜一憂せず、負けてもそれを引きずらずに次の試合に前向きに臨めるということ。…私はそう考えるようにしています。イエス様はいつも変わることがない。自分がどうであるか、に関わらず、神様は私を同じように愛してくれている。試合の結果も同じ。いい試合もあれば、悪い結果の時もある。神様はまったく変わらない。そのことが、自分を過去の失敗に捕われないようにしてくれているのです。」


こんな生き方ができたらいいですね!でも、どうしたら、そうできるのでしょうか。それはスタンリッジ選手を愛し、あなたのことを愛しておられる神を知ることです。神はあなたをかけがえのない存在として見ておられます。聖書を開くと、神はこう語っておられます。

「わたしは限りなき愛をもって、あなたを愛している。」(エレミヤ31章3節[口語訳])

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13章5節)


つまり、どんな結果に終わろうと、あなたを愛し、味方になってくれる方がいるということです。これが大きな安心となり、挫折感から解放してくれるのです。心に余裕が生まれると、それはまた、良い結果にもつながっていくのです。神の祝福があなたにありますように。

伝道師 後藤献四郎



2015年12月のメッセージ

12月メッセージ「それでも、人生は変えられる」音声で聞く

今まで多くの方から悩みをお聞きしてきました。相談者が「やはり私の性格に問題があるんですよね…性格って変えられますか」と溜息混じりで尋ねられます。それを聞いて私はこう答えます。「性格は神様がお造りになったものですから基本的に変わりません。でも人生は変わりますよ」と。


ここでクエスチョンです。以下の言葉は誰が言ったでしょう?

①「31才になって私に望ましいのは死だけです」 

②「誰が惨めだと言って自分ほど惨めな人はいない」

③「私ほど怒りっぽく僻み屋でひねくれた者はいない」

ことごとく暗い言葉ですね。答えは:

①は看護士の鏡と言われたナイチンゲール

②は米国で最も尊敬された大統領、奴隷解放で有名なリンカーン

③は前の五千円札の肖像、教育、国際関係功労者の新渡戸稲造

上記三人は自らの「暗い、短気な」性格に悩んでいた人たちです。でも大きな世界的貢献をした人たちでもあるのです。

どうしてそんな風に変えられるのでしょうか。ある人は、「彼らは特別で才能があったからだ」と言います。確かに能力があることは確かでしょうが、それは決定的なことではありません。それ以上に大切なことは、視点が変わる事です。つまり自分自身の性格や環境だけを見て溜息をついたり、時間で変わる他人の評価に一喜一憂する生き方から、自分の欠けや短所をさえ用いて祝福と変える造り主―全能者であり愛の神を見上げる視点を持つことなのです。聖書にこうあります。「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。」(第Ⅱコリント5:17)

このクリスマスの有る12月、あなたもぜひ教会においでになり、あなたを愛し祝福してくださる神様に目を注ぐ人生をお知り下さい。お祈りしています

牧師 中 西 正 夫



2015年11月のメッセージ 

11月のメッセージ「尊い女性、尊いあなた」音声で聞く

人気放映中の朝ドラ「あさが来た」では、幕末の日本が面白く描かれています。当時は男女の役割がはっきりと分かれ、明らかに男性が優位な社会でした。主人公のあさは、しばしば父に「女子(おなご)に勉強など要らん」と言われ、義理の父からも「女子が商売に口出しするな」と叱られます。男女平等が当たり前の現代、特に若い世代の方々には考えられないことですね。

ところで、聖書は古くから読まれてきた本ですが、その最初から、女性が男性と同じように尊い存在であることを語っています。「創世記」にはこう記されています。「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1章27節)」神はまず男性を造られ、女性を男性と対等のパートナーとして創造されました。歴史の初めから、神は女性と男性を等しく価値のある存在として見ておられるのです。ところで、興味深いのは、神が男性を造る時は地のちりから造られたのに、女性を造る時にはそうされなかったことです。神は男性を眠らせて肋骨を一つ取り、それをもとに女性を造られた…と聖書は語ります。マシュー・ヘンリーという人は、こう述べています。「男を支配するために、頭から造られたのでもなく、男によって踏みつけられるために、足から造られたのでもない。むしろ、それは彼の脇にあって彼と対等であるために、彼の腕の下で守られるため、そして彼の心(心臓)の近くにあって愛されるためだ。」

あさのモデルとなった広岡浅子さんは、「日本で最初の女子大学設立に貢献した人」として知られています。実は彼女も聖書に出会い、人生を大きく変えられた1人なのです。60歳を超えてから洗礼を受け、その後はさらに、女性の地位向上のために尽力しておられます。男性であれ、女性であれ、「神はあなたを『ご自分のかたち』に似せて造られた。あなたはそれほどに尊い、価値のある存在です。」これこそ聖書の語る、変わらないメッセージです。あなたもぜひ聖書を開いてみて下さい。自分に自信が持てるようになり、生きることが喜びに変えられます。

伝道師 後藤献四郎

2015年10月のメッセージ 

10月のメッセージ「スーパーベストセラー」音声で聞く

今一番売れている本は又吉直樹さんの「火花」で、2百万部を突破しているそうです。凄いですよね。ですが戦後日本のベストセラーの中で翌年もベストセラーという本は無いのです。次の年には別の本に代わられるわけです。しかしそんな中で毎年ずっとベストセラーを続けている本が一冊だけあるのです。それが聖書なのです。世界で言えば5億冊、日本だけでも毎年5百万冊出版されているのです。こんな本はありません。もうスーパーベストセラーなのです。古代の本であるのに今なお世界中で最も多くの人が読んでいる本ですが、何故そんなに多くの人が聖書を読むのでしょうか?
勿論、国の憲法の基礎となるような人間の基本的在り方を教えることもそうですが、むしろひとりの苦難のなかにある人生を作り変えて希望と愛、喜びと平安に満ちた人生に再創造する力をもっているからです。一つの話をしましょう。

アメリカ南北戦争の時代に、ル・ウオーレスという将軍がいました。彼は徹底的な無神論者で作家でもありました。存在しない筈の神に祈るクリスチャンが弱々しく思え、彼らの誤りを指摘しうるキリスト教撲滅本を書いてやろうと決心したのです。彼はイスラエルに行き博物館や図書館を巡り、キリスト時代の文献や資料を5年間も調べ上げて、本を書き始めたのです。一章を終え二章めに差し掛かったのですが、ペンを投げ出して椅子から落ちるようにひざまずいてこう呟いたのです。「我が救い主よ。わが神よ」と。彼がどうしてもキリスト教撲滅本を書けなかった二つの理由がありました。それはあの無力なキリストの弟子たちに起こっている一大変化、命を懸ける伝道と殉教。それと十字架で祈るキリストの言葉「父よ、彼らをお許し下さい、彼らは自分でしていることが分からないです」(ルカ23:34)
この二つが否定できなかったのです。後にこの資料がどうなったと思いますか?ペンを握りなおして書かれた本が映画にもなったあの不朽の名作「ベン・ハー」だったのです。
あなたも聖書を読み始めてはいかがですか?また教会にお出かけになり聖書のメッセージをお聞きください。きっと豊かな人生をお知りになるでしょう。
               牧師 中 西 正 夫
         

2015年9月の言葉

9月のメッセージ「「暑いからこそ感謝」音声で聞く

9月になりました。お元気でしょうか?今年は猛暑日が記録的に長く、秋になったとはいえ、未だに厳しい残暑が続いています。地球温暖化の影響を肌で感じます。

ところで、毎日暑さが続くと、私たちはどうしてもネガティブになりがちです。「夏なんか来なければいい」「暑くて死にそう」「日本から出たい」などなど。でも、つぶやいたところで温度は下がりませんし、日々の生活も楽しくありません。どうせ同じ暑さを過ごすなら「洗濯物が早く乾いて嬉しい」とか「西瓜や素麺が美味しい」といった具合に、暑さの良いポイントに注目して過ごしたいものですね。

『世界がもし100人の村だったら』という本をご存知でしょう。タイトルの通りですが、「この世界を100人の村に凝縮したら、どうなるでしょう」という書き出しで始まります。これを読むと、私たちの意識は大きく変わります。例えば、こんなことが書いてあります。

「もしあなたの冷蔵庫に食糧があり、着る服を持ち、頭の上に屋根があり、寝る場所があるなら、あなたはこの世界の75人の人々より裕福です。もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭が転がっているなら、あなたはこの世界で最も裕福な8人のうちの1人です。もし、あなたが文字を読めるなら、そうではない22人よりも恵まれています。もし、あなたがインターネットにアクセスできるなら、そうではない89人よりも恵まれています。」

普段、私たちが当たり前と感じていること、それは世界では決して当たり前ではないのです。私たちはより良い食事や快適な生活を求め、より恵まれた人に目を奪われがちですが、何も持っていないと思いながらも、実は相当恵まれた生活を既に与えられているのです。

パウロはエリートとして育ちましたが、伝道者のゆえに多くの迫害を経験した人です。彼は貧しさとお金持ちをどちらも十分味わってきましたが、ある時、他の人々にこう書き送っています。「私はどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました(ピリピ4章11節)。」

私たちが置かれた状況をもう一度見つめ直し、嫌な事より良い事に目を留めるなら、きっと違った思いに満たされることでしょう。実際、日本に住む私たちは皆とても恵まれています。いつも感謝している人が傍にいたら、すごく励まされますね。私たちもそんな人になれたらどんなに良いでしょう。

伝道師 後藤献四郎

2015年8月の言葉

8月のメッセージ「魂の帰郷は済みましたか?」音声で聞く

八月は休暇をもらって故郷に帰る家族も多いことでしょう。
「ふるさとの山に向かいて言うことなし。ふるさとの山はありがたきかな」
これは石川啄木の歌ですが、文句なく「そうだなあ」と実感される方も多いのではないでしょうか。気ぜわしい「日常」から解放されて、何の気かげなく、のんびりと過ごせる故郷は、まさに解放の安らぎでしょう。新幹線で故郷に帰る人々でギュウギュウ詰めになっても我慢できるのは、帰る故郷を思えばこそでしょう。それほど気兼ねしなくてもよい解放感はありがたいものなのだと思います。

ところで、聖書にも「魂の帰郷」について記されているのをご存知ですか?
「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰ったのです」
(第1ペテロ2章25節)

聖書によれば、人間は元々命の創造者である神様によって造られた存在なのです。それにもかかわらず、人は創造者である神様から離れて羊のようにさまよっている、と語っています。人が生きる意味も目的も定まらず、不安、焦り、緊張の中で生きているのは、創造者である神様から離れているからだというのです。ですから、なすべきことは「魂の牧者である神様のところに帰ること」だと教えています。
その道を開いてくださった方が神の御子キリストなのです。
キリストはこう言っておられます。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」
(ヨハネ14章6節

ちょうど故郷に帰る時、束縛から解放され、安らぎを与えられるように、あなたに「魂の帰郷」があればどんなに幸いでしょう。八月の帰郷はせいぜい数日でしかありません。しかし魂の帰郷はキリストをとおして神様に立ち返った時から永遠なのです。あなたもそれを経験されませんか。 
お祈りしています。                牧師 中 西 正 夫
         

2015年7月の言葉

7月のメッセージ「"Being"がもたらす力」音声で聞く

"Being"がもたらす力

勉強の全然できなかった女子高生が、難関大学に合格した話。2年前、これが話題となり、ついに映画化されて、先日公開されました。私は最近、その子を育てた母親が出版された本を読みましたが、その中で、その子から意欲を引き出すことに成功した塾講師・坪田信貴氏が多くのことを語っておられます。とても興味深い内容で、その一部はこのような話です。

人を評価する主な3つの方法
? Doing(行為)で評価する方法:勉強ができる人は偉い。売り上げが悪い人は役立たず、等
? Having(地位・財産)で評価する方法:社長は偉い。長年勤めても平社員の人はダメ、等
? Being(存在そのもの)で評価する方法:「あなたが何をしようが、どんな状態であろうが、ただ生まれてくれて、ここにいてくれることがうれしい」という評価

「どうしたら我が子が意欲的に勉強するのか」という問いに対し、坪田氏の答えはこうです。「親が子どもに対して、ポジティブな声かけをし、また『Being』での評価を実際に伝えていくべきです。そうして、子どもとの信頼関係を築くことで、初めて子どもに自信と安心感が生まれます。…そこから、やがて勉強や学習という知識への渇望が湧いてくるのです。」

実はこれ、聖書が何百年も前から語り、教えているメッセージと同じです。聖書によれば、人間は皆、あなたも私も1人1人が神によって造られ、愛された素晴らしい作品なのです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43章4節)
「私たちは神の作品であってキリストイエスにあって造られたのです」(エペソ2章10節)

神の目にあなたが高価で尊いその理由は、あなたが何か特別なことができるから(Doing)、またはあなたが何か特別なものを持っているから(Having)ではありません。神があなたをご自分のかたちに似せて造られた。それゆえに、あなたが何をしていようと、どんな状態であろうと「そこに存在しているだけで、生きているだけで、うれしくてたまらない」のです。

あなたはこれまで、家族や身近な人の言葉に傷つき、自信を失ってこられたかもしれません。もしそうであれば、ぜひ、あなたに対する神の思いを知っていただきたいのです。「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない」(ヘブル13章5節)「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(イザヤ49章15節) 私たちが求める力と喜びは全て、ここにあります!あなたに、神の祝福がありますように!

伝道師 後藤献四郎

2015年6月の言葉

6月のメッセージ「死なないために」音声で聞く

               6月のメッセージ

以前お招きして聖書のメッセージを聞いたB牧師の話で、深く考えさせられた話があります。16歳のある日、目の中にドス黒い血が流れ落ちて、何も見えなくなってしまったそうです。眼底出血です。色々な治療も効果なく、これから先いっさい眼の光を失う人生しか残っていない…そう診断され、絶望が支配し、死ぬことばかりを考える日々だったそうです。そんな毎日でしたが、どうしても死にきれなかった二つの理由があると聞かされました。
・一つはお母さんの言葉「母さん、あんたのためだったら何だってするよ」という言葉。
・もう一つはその経験から教会に通うようになったようですが、帰り際に、肩をポンとたたいて「S君、君のために毎日祈っているよ」と語る牧師の言葉。
この二つの言葉が、自分を死に行くことから守ってくれたと言います。

人は関わりがあってこそ命が守られることを知らされます。

一方逆の話を聞いたこともあります。白浜の三段璧で「いのちの電話」を設置して死にゆく人を救う働きをしているF牧師の話…ある日、死に場所を求めて三段璧に来た一人の男性から電話が入り、急いで現場に駆けつけ、いろいろ話を聞いてみると、この2週間、死に場所を求めてさ迷い歩いたとのこと。そこでF牧師は家族も心配されているだろうと家に電話をしたそうです。すると奥さんらしい方が「そんな人、関係ありません。放っておいてくれればよかったのに!」
ご夫婦ですから夫にも問題があったのでしょうが、少なくても言えることは、生きようと死のうと関係ない、という中では生きる力が出てこないということです。
私達は家族とどんな関係で生きているでしょうか?

「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)
「人の望むものは人の変わらぬ愛である」(箴言19:22)

 牧師 中 西 正 夫

2015年5月の言葉

5月のメッセージ「5月病を越えて」音声で聞く

5月を迎えました。今年は暦の並びも良く、大型連休になりそうですね。ところで最近、「5月病」という言葉を時々聞きます。日本では新年度が始まる4月に入学、就職、人事異動、一人暮らし等、環境が大きく変化しますね。最初は期待があり、意欲もあるものの、5月頃になって「なかなか環境に適応できない…」と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。「そんな時は気分転換し、ストレスをためないように」と言われています。但し、食事やアルコールを頼りにしていると、別の問題を引き起こす可能性もあります。旧友と会うのも良いそうですが、やはりこれも根本的な解決にはなりません。

デニス・サファテさんをご存知でしょうか。「ピンチにも揺るがない生き方」というパンフレットに紹介されています。去年ソフトバンクが阪神を下し、3年ぶりに日本一に輝きましたが、彼はこの時、活躍しました。チームの優勝に貢献したのです。

彼は子どもの頃、教会に通っており、「神がいることは知っていた」そうですが、信仰はなかったそうです。メジャーリーグから指名を受けるも、家庭の事情で契約には至らず、この頃から生活も荒れ始めます。「いつも心が満たされず、試合前日にも酒を飲んだり、朝起きる度に罪悪感に苛まれた

と語っています。結婚した後も夫婦間のすれ違いを避けられず、1人ぼっちでとても惨めな、暗闇にいるような気持ちを抱えていました。

そんな時、突然変化が訪れます。「1人でテレビを見ていた時、どうしようもない感情が沸き起こって涙が止まらなくなった」そうです。突然の衝動にわけもわからず、思わず「神様、あなたの助けが必要です」と必死で祈りました。その日からサファテさんは少しずつ変わり始めます。彼は毎日1人で聖書を読み、祈りました。すると、今までなかったかのような安らぎと喜びを感じたのです。「不安は全て取り払われた。怒ったりすることもなくなり、本当に穏やかな気持ちになれたんだ。キリストが十字架で死んでくださったことによって僕は救われ、どんな時でも神に愛されているということがわかったんだ。

サファテさんはキリストを信じて以来、考え方が変わったと言います。「以前は、ひどい試合をしてしまうと怒鳴り散らしたり、やけ酒を飲んだりしていたけど、今は違う。自分は今、神のためにプレーをしている。たとえ負けても、自分の人生が終わるわけではないと思えるんだ。今はキリストが僕の中に生きていることがわかる。それが自分を内側から変えたのだと思う。

最後にキリストの言葉を紹介します。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)

伝道師 後藤献四郎

第147回 2015年4月の言葉

4月のメッセージ「死が生に変わらなければ虚しい」音声で聞く

「死が生に変わらなければ虚しい」
―4月イースター・メッセージー

明治の文豪に夏目漱石という人がいましたね。「吾輩は猫である」とか「坊ちゃん」とか、あなたも中学生のころ貪るように読まれたのではないでしょうか。多くの愛読者をもつ漱石ですが、彼は48歳の時、大きな悲しみを経験します。それは最愛の娘、ひな子を病で失うという経験です。日記の中で漱石はこう書いています。

「昨日は葬式 今日は骨上げ。明後日は納骨…多忙である。
しかし全ての努力をした後で考えると 全ての努力が無益である
死を生に変化させる努力でなければ全てが無益である
こんな遺恨なことはない」

親より先に我が子を失う悲しみが読者にも切々と伝わってきます。と同時に、生と死に対する鋭い洞察の言葉が共感を与えます。
「しかし全ての努力をした後で考えると 全ての努力が無益である
死を生に変化させる努力でなければ全てが無益である」
これはまさにすべての人間の心からの叫びにも似た思いではないかと思うのです。人の一生には華やかな時もあるでしょう。嬉しい時もあるでしょう。でも悲しみや辛い時もあります。そして最後は全てを奪う死という時が誰にでも待ち受けているのです。そしてその死は時に残酷です。そんな死に直面して、死を生に変化させる努力でなければ全てが虚しい、と漱石ならずとも嘆く方も多いのではないかと思います。

しかしここに素晴らしい逆転があるのです。歴史の中で「死を生に変化させた」イエス・キリストという存在です。約二千年前、キリストはエルサレムのゴルゴタの丘で人類を救うために十字架にかかられ死をもって救いの道を開かれたその三日後、死を蹴破って甦られたのです。不安におののく弟子たちに復活の体を何度となく示しその事実を証明されました。恐れと不安にあった弟子たちの中に深い確信と希望が生まれていきました。キリストの復活は殉教をも辞さず、命を掛けて伝道に駆り立てたのです。正に「死を生に変化させる」キリストの命です。
イースターは正に死の不安と絶望を打ち破る出来事なのです。
このキリストの復活をお知りになり希望を抱からますように
キリストの言葉「わたしは甦りです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(ヨハネ11章25節)
                           牧師 中 西 正 夫

第146回 2015年3月の言葉

3月のメッセージ「「愛と赦しに生きる」音声で聞く

朝ドラ“マッサン”も今月で最終回。私は『リタと旅する』という本を買い、主演のモデルとなった人物リタさんと夫の竹鶴政孝さんを調べてみました。とても興味深い内容です。

彼女の家でお手伝いとして働いていた方に、水田一子さんという方がおられます。水田さんは18歳から3年間、竹鶴家で家事見習いをされていたのです。「あの3年間は私にとって宝です」と語る水田さん。本の中で紹介されていた思い出に、こんなことがありました。

ある年のクリスマスパーティのこと、水田さんはリタさんとクリスマスプディングを作りました。普段なら夕方には帰るところ、この日は夕食に招かれたそうです。パーティの最後はお待ちかねのプディング。灯りを消して、プディングに火を灯します。火がまだ消えないうちに、プディングを切り分けます。そしてプディングが最初に配られたのは、なんと水田さんでした。「私が若いからと、家族を差し置いて私に下さったのです。」家事見習いという役割を超えて、リタさん一家は家族のように水田さんを愛し、大切にして下さったそうです。

また、ある年のお正月にはこんなこともありました。水田さんはリタさんから「これは竹鶴家の大切なものだから、絶対に割らないで」と、瀬戸物の重箱を手渡されました。しかし、その瞬間、うっかり重箱を落とし、ガッシャーンと割ってしまいます。頭が真っ白になり、とんでもないことをしてしまった…と顔を上げられなくなってしまいました。するとリタさんは声を荒げることもなく、かえって水田さんのことを気遣い、「形あるものは、いつか壊れます。心配しなくてもいいですよ」と優しく声をかけてくれたそうです。「私には弁償できないようなものだったと思います。ただ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。普通なら烈火のごとく叱ったと思いますが、こんな風に赦して下さり、不思議な気持ちでした。」

いかがでしたか?愛されたこと、赦してもらえたことは、深く印象に残るものなんですね。

最近、暗いニュースが多くて胸が痛みますが、私は本を読んでいてとても心が温まりました。

その後、水田さんは人生の様々な状況で「もう赦せない!」と思う時に、リタさんの言葉を思い出し、赦すことを心掛けてきたそうです。美しい“赦しの連鎖”が続いていったのです。

リタさんはクリスチャンでした。彼女の人生の根底にあるのは、やはり聖書です。聖書にはこんな言葉があります。「…神がキリストにおいて、あなたがたを赦して下さったように、互いに赦し合いなさい(エペソ4章32節)。」「赦された者として、今度は私が他の人を赦す。」人間関係はここから回復します。幸福のサイクルが実際に始まっていくのです!

伝道師 後藤 献四郎


第145回 2015年2月の言葉

2月のメッセージ「事を隠す神」音声で聞く

      
2月の厳しい月を迎えましたが、お元気ですか?

ある方から「まじめに生きているのになかなか努力が報われない。神がおられるならなぜこんな苦労をしないといけないのですか」と尋ねられました。確かに、この世には解らない事が何と多いことでしょう。知りたいのに、求めているのに、その意味が分からず苦しむことも多いわけです。だから神様がおられるのなら、そしてキリスト教の神様が愛である、と知れば、尚のこと 事を隠さず意味を優しく教えてくれるはずだと思ってしまいます。ところがです。その聖書に不思議な言葉が書かれています。

「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ」(箴言25:2)

つまり、人にある事柄を隠しておられる、というのは「神の神らしいやり方」だというのです。どうしてでしょうか。

第一に 人間が向上するためではないでしょうか。

もし人間が全てを理解し、何事も解ってしまっているなら、知恵を追求するどころか、満足しきってしまい、成長発展もなくなるでしょう。

第二に 隠されているが故の安心もあるのです。

もし自分の人生に起こることが全て解ってしまうなら、どうでしょう…。重い病に倒れるのが未然に解ってしまうなら、これからの一歩を踏み出せないのではないでしょうか。良い事であっても未然に知らされたなら、浮き足だってしまうのではないでしょうか。またこんな事もあるでしょう。自分のことを他人が何と言っているのか、全てを知らされたなら、良い事ならいざ知らず、悪いことなら、人はそれこそノイローゼになるのではないでしょうか。やはり「事を隠して」もらっているのがいいのです。

第三に 人間の分をわきまえるためではないでしょうか。

よく自分の足らざる事を知る、とか、無知を知る、と言われますが、それは大切です。この真理を踏み外して、人間が一番偉い者であるとするとき、人は高慢になり、世界は争いに満ちた世界となります。聖書に依れば人間は神によって作られた存在です。神の恵で生かされている者です。ですから、聖書は「主をおそれることは知識のはじめである」(箴言1:7)と語ります。

                           牧師 中 西 正 夫

第144回 2015年1月の言葉

 

1月「新しい年に、新しい心で」音声で聞く

「新しい年に、新しい心で」

あけましておめでとうございます。2015年を迎えました。新しく始まった年に向かい、あなたはどんな抱負を持っておられるでしょうか。「今年こそ○○を」と願い、「今までと違った○○な人になりたい」などと希望している方も多いと思います。

ところで、新年の最初は計画通りかもしれませんが、月日が経過するにつれて、目標から外れている自分に気がつくことはないでしょうか。数ヶ月が過ぎ、年も暮れる頃になると「こんなはずではなかったのに…」とため息が出ることも少なくないですね。

ジョシュ・マクドウェルという方をご存知ですか。私が好きな米国人作家の1人です。学生時代、彼は大の“宗教嫌い”でしたが、不思議な導きで、イエス・キリストを信じ、クリスチャンとして新しい人生を始めました。かつては、「キリスト教など、弱い人間が信じるものだ」と言っていましたが、今では自分がどんな風に変えられたかを、著書『徹底検証キリスト教』の中で列挙しています。

  1. 自己中心から他者中心になった:政治家を目指していた彼は、「人は自分が出世するために利用すれば良いのだ」と思っていた。今ではその思いが180度変わり「人に仕えたい」と願うようになった。

  2. 短気でなくなった:学生時代に、相手を殺しかねないほどのケンカをした時の傷が今でも体に残っている。そんな彼が、昔なら激怒するであろう状況に遭遇しても、そうしない自分に気づいた。

  3. 赦せない人を赦すことができた:地元で有名なアル中であり、母を痛めつけて死に追いやった父を、以前は死ぬほど憎み、本気で殺意を抱いていた。しかしキリストを信じて以降、憎しみの思いがすっかり取り去られ、そんな父でさえ愛することができるようになった。

「そんな簡単に変われるものか」と思われるかもしれません。その通りです。ジョシュのように、短期間で劇的に変えられる場合もありますが、長い時間をかけてゆっくりと変えられることもあるでしょう。ただ確かに言えることは「自分の意志で自分を変えることはできなくても、キリストにはあなたを新しく造り変える力があるということです。キリストは「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、…あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にしますと語っておられます(ヨハネ8章31-32節)。「新しい年に、新しい心で」始めてみませんか。あなたの祝福をお祈りしています。

伝道師  後藤 献四郎

 

 

第143回 2014年12月の言葉

 12月「素晴らしい喜びをあなたに」音声で聞く

 

ある広告代理店の調査によると、情報には四種類の情報があるそうです。

「ハウツー情報」「物知り情報」「野次馬情報」そして「ライフ情報」の四つ。この「ライフ情報」というのは「揺れ動く現代社会の中で、自分はどう生きるべきかを考えさせる衝撃度の高い情報」だそうです。

実はこの2千年間、世界を動かしてきたとっておきの「ライフ情報」があります。神が人類に語られた素晴らしい「ライフ情報」です。聖書にこうあります。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、あなたがたのための救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2章1011)

このキリストがもたらして下さる喜びのライフ情報を書き記しますと:

1.人類最大の不安である死に打ち勝つ永遠の命の喜び

2.あなたのためなら命を投げ出すほどの大きな愛で愛して下さる喜び

3.死後にある神の裁きから解放する罪の許しの喜び

4.あなたの人生の孤独や恐れの時にも共にいて解放して下さる喜び

5.不安な問題の中にも消えない平安が与えられる喜び

これがイエス・キリストが十字架と復活によってもたらして下さったあなたに贈る素晴らしい喜びの「ライフ情報」なのです。しかもこれらは無代価なのです。

ぜひあなたもクリスマスが祝われる12月の日曜日、教会においでになってこの素晴らしい喜びをご自分のものとされますようにお祈りいたします。

              牧師 中 西 正 夫

第142回 2014年11月の言葉

 11月「神の作品」音声で聞く

スポーツの秋ですね!先日は錦織選手が全米オープンで準優勝を果たし、日本中が感動と喜びに包まれました。アジア人として初のグランドスラム決勝進出に、多くのテニスファンのみならず、日本全国が熱狂・興奮しました。

錦織選手が活躍した背景には、コーチであるマイケル・チャン氏の影響が大きいと言われています。彼は中国系のアメリカ人で、身長は175cm。錦織選手より低い小柄な選手です。かつて多くの人が彼に対し、「あなたは成功できない」と言いました。しかし彼は、わずか17歳3ヶ月で全仏オープン優勝。同大会最年少優勝記録を持つ、世界屈指の選手です。

マイケル・チャン氏によれば、彼をテニス選手として支え、活躍と勝利に導いたのは聖書の言葉です。彼はこう語っています。「私たちは神の作品であって、体も心も神の創造によるものです。決して偶然の産物ではありません。神は私たち1人1人に、すばらしい人生の計画を持っておられるのです。」聖書の中には、こうあります。「私たちは神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2章10節)

聖書によれば、私たちは皆、1人1人が神に造られたオリジナル作品です。あなたも私も、神の目から見れば「高価で尊い」存在なのです(イザヤ43章4節)。たとえご自分の特技が何かご存知なくても、スポーツや勉強ができてもできなくても、あなたそのものの価値というのは全く変わりません!マイケル・チャン氏が周囲の言動に屈することもなく、大柄な強豪選手たちに連勝できた“強み”のベースは、ここにあったのです!“Without Jesus, I am nothing.(イエス・キリストなしに、今の私はなかった)”彼の偽らない気持ちです。

あなたも世界に1人しかいない、ユニークで価値ある存在です!あなたが生きる力と喜びを見出され、前向きに生きていかれるように祈ります。最後にマイケル・チャン氏の言葉を、もう一つ紹介します。「あなたは唯一独自の存在であり、世界に影響を与えることができる存在だと信じて欲しいのです。

伝道師 後藤献四郎

第142回 2014年10月の言葉

 10月「喜びのハードルを下げませんか」音声で聞く

日本の子供と大人の笑う時間についての統計を読んだのですが、子供は一日で2時間笑っているそうです。それに対して大人は一日二分間だそうです。たった二分間?って思いますが、そうらしいです。一時間で5秒しか笑ってない計算になります。後はムスッとしているんですが、一番ムスッとしているのは家だそうです。心当たりありますか?笑いというか喜びを増やせたら、もう少し人生も変わるんですが、なかなか作り笑いはできても、心から笑える、喜べるというのはできませんね。一日中ムスッとしているのは体にもよくないわけで、何とか喜びを増やしたく思いますね。
そこで提案です。それは「喜びのハードルを下げませんか」という提案です。たとえば長く入院されていた方が退院して家に帰ってくると、今まで何げなくしていたことが有難く嬉しい、と言われます。好きな味付けで家庭料理を頂けること、慣れたベッドや枕で眠れること等々です。喜びのハードルが下がった訳です。すると今まで大した感謝もなくしていたことが、有難く嬉しさも加わってくるのです。
聖書に物乞いをしていた男にペテロが語った言葉が出てきます。
「金銀は私にはない。しかし私に有るものを上げよう。ナザレのイエスの名によって歩きなさい」(使徒3:6) 幸せな人というのは無いものを数えて不満に生きる人ではなく、有るものを感謝して喜んで生きる人と言えるでしょう。
あなたも喜びのハードルを下げてみませんか?すると、神が与えてくださっている何気なくしていることの感謝があふれてくるように思います。 

牧師 中西正夫

第141回 2014年9月の言葉

 9月「憎しみを越えて」音声で聞く

大河ドラマ「軍師官兵衛」も、いよいよ佳境に入ってきました。主人公の官兵衛といえば、秀吉にとって右腕のような存在です。事実、官兵衛の協力なしで秀吉の天下統一はなかったと言われています。官兵衛の魅力は、その生涯で一度も負けを知らなかった“戦の天才”という面が強調されますが、私はむしろ彼の人柄(パーソナリティ)に心惹かれます。既に、指摘されている通り、大河ドラマのテーマの1つは“愛と赦し”ではないかと思うのです。

官兵衛が若い頃、仕えていた主君は、小寺政職(まさもと)という武将でしたが、彼は信長から自分の子どもを人質に出せと命じられます。彼が出し渋り、事態が危うくなってくると、何と官兵衛は自分の息子を代わりに出すことを提案し、愛する1人息子を手放したのです。しかも後年、官兵衛は信じられない裏切りに会います。後に官兵衛の上司となる荒木村重が信長に謀反を起こした時、政職は村重に急使を走らせ、「有無を言わさず、官兵衛を殺してほしい」と依頼するのです。「恩を仇で返す」とは、正にこの事です。

一方、村重も官兵衛を殺さなかったものの、彼の善意を裏切る対応に出ました。それまで、彼とは深い親交があったにも関わらず、信長を捨てて自分の側につけと官兵衛を投獄したのです。汚い牢屋に1年程幽閉された官兵衛は、これが元で生涯足を患い、大きなトラウマを抱えることになりました。結局、信長は滅び、政職や村重は難を逃れましたが、時を経て官兵衛が彼らとそれぞれ再会し、復讐を果たす絶好の機会が訪れたのに、彼は怒りや憎しみに任せて2人を討ち取るようなことはせず、赦し、彼らの悪に対して善で返したのです!

官兵衛の広い寛容な心と、彼の深い愛には驚嘆してしまいます。もし彼の立場にあったら、果たして同じ事ができるでしょうか。先日ドラマの中で、彼が宣教師から洗礼を受ける場面が放映されていました。彼はキリシタン、今でいうクリスチャンとなっていたのです。

官兵衛の人生に深い影響を与えたのは、聖書です。マタイ6章12節には、こうあります。「私たちの負いめ(罪)をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」憎い人を赦すことができるのは、神が、私たちの犯した、計り知れない無数の罪を全て赦して下さるからです。私たちは自分で復讐する必要はありません。神は公正な方であり、1人ひとりに相応しい報いをされるからです。私たちが神を信じる時、怒りを手放すことができ、憎しみから解放されるのです!人間関係で悩む私たち現代人に、官兵衛の人生はとてもインパクトがあります。官兵衛が信じた聖書を、ぜひあなたのものにして下さい。
あなたの祝福を祈ります。

伝道師 後藤献四郎

第140回 2014年8月の言葉

 8月「心配事の的中率は1%」音声で聞く

私達は誰もが「心配性」ではないかと思うのですが、あなたはいかがですか? 体のこと、仕事のこと、子供のこと…次々と心配の種がでてきます。やっかいなのはその心配事が芋蔓式に次の心配をしてしまい、心と体に大変悪い状態を作るのです。勿論、誰も好きこのんで心配などしたくないわけですが、心配せずにはおれない現実です。 何とかできないでしょうか?

しかし、フランスの思想家政治活動家モンテーニュという人がこう言っています。
「私の生涯は恐ろしい禍に満ち満ちたものに思われた。しかしその実際は起こらなかった。心配事の的中率は1%に過ぎなかった」(『随想録』)

正に経験者語る、の告白ですね。心に留めておきたいものです。それでも1%の心配事の的中率を心配するのが心配性の特徴です。そのために不安を抱くわけです。 しかし、どうでしょう。もし最悪の現実になったとしても、その最悪でさえへ祝福に変える御方がいるとしたら…それは正に朗報でしょう。そんなお方がいるのでしょうか。はい、おられるのです。私達を造り、万物を治めておられる愛と全能の神が聖書を通して次のように語られます。
「神は全てのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)

人間の力では思い方をどうこうできるのにも限界がありますが、全ての創造者である愛の神が「万事を益に変える」と言われるのですから、これは心強いことなのです。 ぜひあなたも神を信じる人生を知り、心配性から解放されませんか?

牧師 中 西 正 夫 

第139回 2014年7月の言葉

 7月「“首の怪我”の功名」音声で聞く

W杯の熱戦が続く中、今年も開催国ブラジルが優勝するのではないかと、早くも噂されています。サッカー大国ブラジルには、昔のペレをはじめ、ロナウジーニョやリバウドなど、世界的な名選手が沢山います。私の好きな選手はカカです。今年のW杯には出ませんが、2002年のW杯で優勝した同国代表の1人であり、2007年には最優秀選手として表彰され、その他様々な試合でも優勝しているプロ選手です。同世代の男性として非常に魅力的です。

そんなカカにも、再起不能かと危ぶまれた時がありました。18才の時プールに飛び込んで頭を強打し、首に大きなダメージを受けてしまったのです。早速病院でレントゲンを撮ると、なんと6番目の脊椎が損傷していました。信じられない話がカカの耳に入ってきます。「彼の体は、生涯麻痺したままかもしれない。」サッカーどころか、このままでは歩くことさえできなくなるのでは…と心配されたのです。

しかし、その後の活躍は既に述べた通りです。多くの人々は、医師たちも含めて彼にこう言いました。「あなたは本当にラッキーだったね。あんな事故に会ったのに、これくらいで済んだのだから。」しかし、クリスチャンのカカはそうとは思いません。「僕が守られたのは偶然のことじゃない。あれ以上ひどくならないように、神が助けて下さったからだ。」

当時、サンパウロのジュニアチームにいた彼は、2ヶ月間、首を固定しなければなりませんでしたが、翌年にはプロフェッショナルチームから正式なオファーを受け、プロサッカー選手として飛躍するチャンスを掴むことができたのです!この事故は、今でも彼の人生に大きな影響を与えています。「神はあの事故にも目的を持っておられた。僕は自分の人生に神がリアルに働いていることを感じている。与えられたすべてのことに感謝しているんだ。」

彼の人生の根底には、聖書の言葉が流れています。ローマ8章28節には、こうあります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」私たちの人生には、試合に勝ったり、表彰されたりと嬉しい出来事ばかりではありません。試験に失敗したり、病気にかかったりと、悲しい出来事もいろいろ経験します。しかし神を信じ、この方と共に生きるなら、不幸と思われるものにも意味を見出すことができます。神は、苦しいことや困難なことも含めたすべてを益(良いこと)に造り変えると約束しておられるからです!

辛い時にはカカを思い出して下さい。神はあなたの人生にも素晴らしい計画をお持ちです。

伝道師 後藤献四郎

第138回 2014年6月の言葉

 6月「鷹の再生」音声で聞く

先日、図書館でたまたま見つけた本で「鷹の一生」について書かれた本があり、読んでいる中に思わず「鷹ってすごいなあ!」と感心してしまった話があるのです。鷹は70才まで生きるんですね。人間並です。ところが鷹が40才の頃、大試練に遭遇します。それは羽根が分厚くなって飛ぶのに困難になり、また今まで使ってきた鋭い嘴が加齢のために胸まで伸びて獲物をついばめなくなり、獲物を掴み枝に止まるときに欠かせない足の爪も伸びて、用を足せなくなるのです。それでどうするかなんですが、鷹は必死で高い岩山に飛んでいき、その岩に自分の嘴を打ちつけて叩きつぶすのです。それから新しい嘴が伸びるのに50日待ちます。それから新しい嘴で古くなった足の爪を引き抜き、古くなった羽根も引き抜くという大手術を自分で麻酔も無しにやるのです。更に50日待って新しい再生の鷹になって後30年生き延びるというのです。その凄まじいまでの再生の道に感動してしまいました。鷹はすごいですよね。ところが、聖書を見ると、人間の再生の道も示されています。それは凄まじいまでの自力による再生の道ではありません。聖書にこうあります。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(第2コリント5:17)

凄まじいまでの救いの道を開いてくださったのは壮絶な十字架にかかってくださったキリストです。そして私たち人間は、そのキリストを救い主と信じる信仰だけで、死んでも生きる永遠の命、全生涯の罪の赦しに再生するのです。素晴らしい救いの道をあなたもぜひお信じください。

牧師 中西正夫

第137回 2014年5月の言葉

 「愛された者として」音声で聞く

NHKの朝ドラ「花子とアン」を観ていますか。主人公の花子といえば、世界中で愛される「赤毛のアン」を日本語に訳した翻訳家ですが、彼女は大きな試練を経験しています。

26歳で結婚した花子は村岡姓となり、関東大震災の後、夫と共に出版社を立ち上げます。クリスチャン夫婦の2人には、道雄という一人息子が生まれていましたが、この子は突然、疫痢にかかり、わずか7歳で息を引き取ります。それは、とても受け入れ難いことでした。

息子の死から3ヶ月が過ぎた頃、花子の心に聖書の言葉が響きます。ヨハネの福音書3章16節の言葉です。「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」“世”とは神が造られた人々であり、花子や道雄、今この記事を読まれているあなたや私のことを指しています。「神はご自分の大切なひとり子であるイエス・キリストをお遣わしになり、このキリストが、私の犯してきた全ての罪を赦すために、十字架の上で身代わりの裁きを受け、命を捨てて下さった。」花子は、神の大きな愛を改めて深く知り、多くの時間を経て、息子の死という現実を受け入れたのです。「過去に不満を言い続けるのはやめよう。事実をそのまま受け止め、前進していこう」と。

先程の聖書の言葉には続きがあります。「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」神の御子キリストを信じる者にとって、今生きている世界が全てではありません。やがて地上での生涯を終えた時、永遠の命が与えられ、天の御国へ行くことができると聖書は約束しています。これは私たちにとって大きな慰めです。

花子は息子を失い、初めて子を愛するということが分かったと作品の中で綴っています。それまでは、自分の野心の満足を求めていたということに気づいたのだそうです。「道雄は私の母性に火をつけてくれた。これからは、他の生きている子どもたちのために、良質の家庭文学を翻訳していこう」と決意したのです!大きな悲しみの出来事を通し、花子は、ひとり子を与えて下さった神の愛を深く知りました。「この方こそ、ひとり子を失う痛みを知っておられ、私の悲しみを理解して下さる方だ」と受け止めたのでしょう。今もなお、神は私たちに愛を注いでおられ、私たちの苦しみ、悩みをも理解して下さるお方です。

とてつもなく大きな愛を知った花子は、その愛に応えて新しい人生のスタートを切ります。新たな使命が与えられ、大きく活躍していくことになるのです。私たちも神の愛を知る時、生きる力を得、使命に生きる者と変えられていきます。あなたにも、神の愛をぜひ知って頂きたいと思います。あなたの人生は見違えるほど素晴らしいものとなるでしょう。


伝道師 後藤献四郎


第136回 2014年4月の言葉

 4月「病床洗礼」音声で聞く

 牧師として人と関わってきて思うのは、心が変わるのは至難の業であるかと言うことです。しかも長年の心の有り様が変わるのは奇跡的と言うしか有りません。ところがそんなことが起こったのです。私は金剛に来て開拓伝道を約40年前に始めました。その頃から子どもさん達を通じてお付き合いをしてきた方にYさんがおられます。子どもさん達が教会で信仰を持つことは、良い事だと理解もしておられたのですが、自分はとなると全く一線を引いたようで、お話にならない状態でした。17年前に癌を患う時も、だからといって神に頼るなどは無かったわけです。非常に強い精神の持ち主でした。高校の国語の教師として活躍もし、生徒からの信頼も厚く、御主人が三十年ほど前に亡くなられ時も、まだ若い子ども達を支え、気丈に振る舞っておられたわけです。三度の手術、三度の放射線治療の闘病生活にもめげることなく「この方は何と強い方か」と何度も思わされることでした。最後までこのままの心の状態で死も迎えられるかと思った矢先、救急で入院される事態が起こりました。入院先で娘さんが「教会の先生がお見舞いに来たいと仰ってるけど、いい?」「中西先生とはクリスチャンでもないのに長いお付き合いや。来てもらってもいいよ。…いいよ、もう信じるよ。神さんいうたらイエス様の事や。信じるよ」「形だけそんなん言うても…」「いや、イミテーション違うよ。ちゃんと信じるよ」となり、話がトントン拍子に進み、到着した私は挨拶を交わしたあと尋ねました「Yさん、子供さんから聞きましたが、イエス様を信じるって本当ですか?」「はい長い間、頑なでしたが、信じます」「それでは全能の神とその一人子イエスキリストをあなたの罪からの救い主と信じますか?」「はい信じます」「それではその信仰告白に従って洗礼ですね」「はい、よろしくお願いします。そういって洗礼へと導かれたのです。大きな平安が御本人と家族に注がれました。こんな事も有るんですね! それから10日して3月31に息を引き取られ天の御国に帰られたのでした。ハレルヤ!

牧師 中西正夫

第136回 2014年3月の言葉

 3月「一番大切なもの」音声で聞く

3月になりました。引越しや人事異動、新生活の準備などで忙しくしておられる方も多いと思います。親しい人たちと別れる寂しさや、「新しい場所でやっていけるかな」という不安を感じておられる方も、少なからずおられるでしょう。

私は先日、マット・マートン選手の記事を読みました。彼がアメリカを離れ、日本に来ることになった時も、環境が変わることに対する大きな恐れがあり、阪神タイガースの勧誘に応じる決断がなかなかできなかったそうです。そこで、クリスチャンのマートン選手は、日本でプレーすべきかどうかと、妻と共に何度も祈ります。「神様は静かに、しかし明確に『そこがあなたの行くところです』と僕に語られた。」彼はそうコメントしています。

「野球で活躍できず、挫折を経験したこともありました。しかし確かなことは、神様が僕と共にいて、人生を導いて下さっているということです。」これはマートン選手だけでなく、私たちにも当てはまることだと思います。人は誰でも挫折を経験しますが、神は、私たち一人ひとりの人生に確かな計画を持っておられるのです。もし、私たちがマートン選手のように神を求め、信じ続けるなら、神は私たちの人生にも恵みと祝福を注いで下さいます。

かつてメジャーリーグで活躍していたマートン選手は、レギュラー争いに敗れ、マイナーリーグに落とされる経験をしています。阪神タイガースへの移籍をためらった背景にも「『メジャーでは通用しないのか』というプライドもあった」と告白しています。しかし、そんな彼が、ご存知の通り、来日した翌年の2010年に214安打、あのイチロー越えの記録を見事樹立したのです!「野球が一番大切なものではありません。僕にとって最も大事なことは、僕を造り、また天地を造られた神様のうちに、自分のアイデンティティがあるということです。僕は神様といつも祈りを通して話すことができ、神から力を受けています。」

つまり、マートン選手が言わんとしていることは、こういうことです。彼が日本で活躍し、最多安打の記録を達成することができたのも、野球よりも大切なもの-神-を求め、この方から力を頂いたからだということなのです。決して実力だとは考えません。ここで、聖書の有名な一節を紹介します。歴史上、多くの人々がこの言葉に助けられてきました。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6章33節)一番大切なものを一番にする時に、人生は好転し始めます。この記事を読まれたあなたにも、神様の祝福がありますように。

伝道師 後藤献四郎

第136回 2014年2月の言葉

 2月「競争は足の速い人のものではなく…」音声で聞く

早いもので新年も2月になりました。お元気ですか。この2月は受験生にとってデッドヒートの時でしょうし、新年から就活が始まり早く内定してもらいたいと焦っている学生も多いでしょう。また春からの新しい仕事や人事異動で期待と不安の中にいる方もおられるのではないかと思います。やはり人生の競争は他人に勝つというより、先ず自分に勝たねばなりません。そういう中で、自分の能力や知識不足に嘆く方がおられますか? もしそうなら聖書の言葉に励まされていただきたいのです。こういう言葉です。

「競争は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、又パンは知恵ある人のものではなく、又富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ」(伝道者の書9章11節)

つまり、勝敗は能力があるかどうかで決まるのではなく、公平に与えられているチャンスをどう掴むかにかかっているのです。ですから自分の内側を見て能力不足で一喜一憂することを止め、自分を造ってくださった創造者であり愛の神の御言葉に聞き、祈る生活をしていると、不思議に自分に与えられた「チャンス」が開けてくるのを知られるでしょう。ぜひ今年聖書を開き祝福された人生を歩まれますようお祈りしております。

牧師 中西正夫

第135回 2014年1月の言葉

 1月「私が望んでいた夢よりも」音声で聞く

新年を迎えました。毎年お正月の時期になると、多くの人は初詣に出かけます。ある調査によると、日本人の3人に1人が「神でも仏でも心の拠り所となるものがほしい」と答え、3人に2人が「何か非常に困った時に、神や仏に祈ったことがある」と答えています。

ところで、松岡葉子さんという女性をご存知ですか。彼女は将来、ダンサーになることを夢見て毎日、踊りの練習をしていました。ある日、彼女は梅田の繁華街で交通事故に会い、命は助かりましたが、車いすの生活を余儀なくされたのです。友だちも次第に離れていき、死にたいと思っていた時、ある友人に誘われてゴスペルコンサートを聴きに行きました。

歌っている人たちの美しさに感動し、自分もまたステージに立ちたいと願った松岡さん。妹がゴスペルの主催者に連絡を取り、ゴスペルの指導をお願いしたところ、障害を持った状態にも関わらず、「練習に参加してほしい」と歓迎されました。やがて米国ツアーに参加した彼女は、ツアーに同行した宣教師から声をかけられ、キリストを信じる決心をします。その後、正式にゴスペルグループのメンバーとなった彼女は洗礼を受け、現在ではプロのゴスペルジャズシンガーとして本格的にソロ活動を始め、CDもリリースしています。

松岡さんはこう語っています。「神様は、私が望んでいた夢よりも、もっと素晴らしいものを与えてくれた。」人生、何が起こるか分からないものです。ダンサーの夢を断たれ、もう死にたいと願っていた彼女が、今や希望にあふれて力強く人前で歌っているのです。聖書にはこんな言葉があります。「わたし(神)の思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い(イザヤ55章8-9節)。」

あなたや私をお造りなった神は、私たち1人ひとりの人生に確かな計画を持っています。松岡さんはキリストを知ることがなければ、今も恐らく望みを失って生きていたでしょう。彼女にとってハンディキャップはもはや問題ではありません。むしろ彼女は、神を信じて生きることの素晴らしさを、音楽を通して知ってほしいと私たちに願っているのです。

聖書には他にもこんな言葉があります。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける(イザヤ43章19節)。」神は、私たちの人生に新しいスタートを与えることを得意としておられます。新年を迎えましたが、ぜひあなたも神を求めてみませんか。

伝道師 後藤献四郎

第134回 2013年12月の言葉

 「泉の湧く生涯」音声で聞く

早いもので今年も最後の月になりました。12月は色々なことのしわ寄せもやってくる月でもありますね。思うようにいかなかった、光が見えない、と失望落胆、時に涙する時もあるかもしれません。でも聖書にこんな言葉が記されています。

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧くところとします。」(詩篇84:6)神様があなたに計画しておられる人生は、あなたの悲しみが癒されるだけではなく、あなたの経験した悲しみを通して、あなたから「泉」が湧き、それによって周りの人々が潤されていくという人生設計です。たとえて言えば、子どもたちがお正月に遊ぶ凧上げの凧が逆風を受けて舞い上がるように、人生の試練という逆風を受けて祝福の高い嶺を飛ぶような生涯です。そんな人生があるのでしょうか。あるのです!その秘訣は次の聖句に書かれてあります。

「何と幸いなことでしょう。その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は」(詩篇84:5) 「シオン」とは昔エルサレムに神殿があった丘のことです。つまり、悲しみや苦しみの涙を流すことがあっても、全能の神、愛の神、万事を益に変えて下さる神を礼拝していく人の生涯には、知らず知らずに神があなたの涙を泉に変える生涯が始まるというのです。それが聖書の約束です。悲しみの時には心を閉じてしまいがちですが、その悲しみの心のまま心の窓をあなたの創造者である神様に向かって開き、神さまを礼拝し、神の言葉によって養われていくことなのです。その時心が慰められ、癒され、強められ、そして「泉」が湧き始めるのです。 12月は神の御子イエス・キリストのお誕生によってもたらされた「人間の救い」が始まったときです。あなたも教会にお出かけになりませんか。心からご案内いたします。  牧師 中 西 正 夫

第133回 2013年11月の言葉

 「雨のち晴レルヤ」音声で聞く

人気のフォークデュオ、「ゆず」が歌っている“雨のち晴レルヤ”という曲をご存知ですか?新しく始まった朝ドラの主題歌にもなっています。とても良い歌詞です。

雲一つない秋の空は気持ちいいものですが、人生はいつも晴れの日ばかりではありません。むしろ曇りの日や、雨の日の方が多いと思うこともあります。病気にかかったり、誰かと関係がこじれたり、大切な人を失ったりと、嵐のような日も経験するでしょう。しかし、雨の日というのは、いつまでも続きません。もし、あなたが神を知られるなら、晴れの日は必ず来ます!「雨のちハレルヤ」と言えるようになるのです。では、どうすれば雨の日でも前向きに生きていけるのでしょう?「ハレルヤ

と喜べるようになるのでしょうか?

それは“ハレルヤ”の本当の意味を知る事です。「ハレルヤ」とは「主をほめたたえよ」という意味があります。主とはキリスト、聖書の神のことを指しています。聖書にこんな言葉があります。「主を喜ぶことは、あなたがたの力です(ネヘミヤ810節)。」神をほめたたえ、喜ぶことは、あなたにとって力となる。人生の困難の中にあっても、なお生きていく力となるというのです!

では一体、神の何を喜ぶのでしょうか?それは神ご自身を喜ぶということです。神がどんな方であるかを知れば、あなたもきっと喜ぶことができるでしょう。神は目に見えませんが、あなたと大いに関係があるのです。“雨のち晴レルヤ”の歌詞の中に、「どんな君でも愛している」というフレーズがあります。讃美歌ではありませんが、とても聖書的だと思います。今、このメッセージを読まれているあなたが、たとえどんな人であろうとも、神はあなたのことをそのままで愛されるお方なのです。しかもその愛は命がけの愛です!あなたの姿がどんなであろうと、これまでに何をしてこられていようと、その愛は決して変わることがありません。教会の上にある十字架は、そのことを表しています。

「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と聖書は語ります(イザヤ434節)。あなたが「美人だから、賢いから、能力があるから、愛している」ではありません。あなたに何ができてもできなくても、自分のことが好きでも嫌いでも、どんなに罪深いと思われる人であっても、神はあなたをあるがままで、あなたそのものを愛しておられるのです!あなたがこの神を知られる時、あなたの心も「雨のち晴レルヤ」となるでしょう。これまでどんな嵐や台風を経験してこられていても、神はあなたの心を晴れにして下さいます。ぜひ教会に来て、聖書のメッセージを聞いてみて下さい。

伝道師 後藤献四郎

第133回 2013年10月の言葉

「プラスからプラスへ」音声で聞く

人生で否定的な経験をしても、まるで風を受けて舞い上がる凧のように、それを力にして高く舞い上がる生き方があります。その秘訣はどこにあるのでしょうか。
多くの人を見てきて思うのですが、人生には次の四つの生き方があります。

1.マイナスからマイナスへ
これは時々親が子供に言う言葉の中にあります。「アンタはしょうがない子だねえ。前もそうだったけど、今度も又同じ事をして!」 このメッセージの発信によって子供が新たな気持ちで生きていく力は得られません。
2.プラスからマイナスへ
「今はピチピチだけど、そのうち中年よ!」「今はいいけど、やがてダメになる」という具合に、プラスからマイナスへのメッセージを発信しています。この生き方は私たちの人生がやがて年老いて死ぬという自然の流れに沿っているわけですが、逆風には極めて弱いわけで、常にマイナスへの不安がつきまといます。
3.マイナスからプラスへ
この生き方はまじめな方が発信するメッセージです。「今はダメでもそのうちいつか良くなるから頑張ろう」と保証もない将来の希望を頼りに自分や他人を叱咤激励するわけです。でも、これが力にならない訳は、今いるところを感謝無しでスタートしますから、将来になっても決して満足行かないことに気付かないのです。
4.プラスからプラスへ
この生き方こそ幸せと喜びをもたらす生き方です。「あなたは今既に神に愛されているから、将来も大丈夫です!」「今の逆風も凧がそのエネルギーでこそ空高く舞い上がれるように、神の力を受けて祝福された人生を生きれるのです!」自分をダメな人間、失敗人間としては考えないで、今ある自分を神にあって感謝していける人生なのです。

「わたしの恵はあなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12章9節)

あなたもプラスからプラスへの生き方ができます。ぜひ教会においでになり、求めて行かれませんか。

牧師 中西正夫

第132回 2013年9月の言葉

「どんな環境でも幸せになれる」音声で聞く

去年のベストセラー第2位に輝いた著作、『置かれた場所で咲きなさい』をご存知ですか。 渡辺和子さんという方が書かれた本です。私たちはよく「なぜ自分がこんな目に?」とか「こんなはずじゃなかった」ということを口にすることがあります。渡辺さんの人生も、正にその様な不本意な出来事の連続でした。

修道院に入った彼女は、上からの命令でアメリカに行き、学位を取り、岡山にあるノートルダム清心学園に派遣されます。学長が急逝したことに伴い、彼女は新学長に任命されたのです。ハタから見れば出世しているように見えますが、どれもこれも本人が願っての事ではありませんでした。「未知の土地で、若すぎる自分が、思いがけない出来事に連日遭遇している…」とすっかり自信を失くしてしまいました。辞職しようかと真剣に悩んでいた時、1人の宣教師が短い英語の詩を渡してくれます。それが上記の著作タイトルです。

その後、彼女は「置かれた環境に不平不満を漏らし、些細な事で一喜一憂するのは、もうやめよう。どんな環境に置かれたとしても、そこで自分の花を咲かせてみよう」と決意を新たにします。変化のない日々の中、心の持ちようを変えた時から、自分の表情はおろか周囲の人々の顔色も明るくなり、やがては現実を受け入れて感謝できるようになりました。

渡辺さんの人生を変えた詩の背後には、間違いなく聖書の影響が見られます。聖書には、このような言葉があります。「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は…あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ人への手紙4章11-12節)」

これはパウロという人の言葉です。彼の場合は状況がもっとひどく、この手紙を書いていた時は投獄されていました。身を粉にして働き続けた結果、不当に逮捕され、あとどれくらい生きられるかもわからない状況で、彼の心は満ち足りていたというのです!他にも様々、迫害・盗難・貧困などを経験してきましたが、心は不満どころか喜びで満たされていました。そのような心境でいられたのは、彼を心から愛し、彼のために命を捨てて下さったイエス・キリスト―このお方と人生の途上で出会い、受け入れたからに他なりません。

渡辺和子さんが生きる土台とし、パウロが生涯、伝え続けたこのお方を、あなたにもぜひ知っていただきたいと思います。私自身、キリストを知り、人生を新しく変えられた者の1人です。現実が変わらなくても、問題に対する心の持ち方を変えることはできます。このメッセージを読まれたあなたにも、神の祝福がありますように!

伝道師 後藤献四郎

第131回 2013年8月の言葉

「土砂災害と人生の土台」音声で聞く

真夏だというのにまるで梅雨の終わりの頃のように大雨による土砂災害が各地に拡がっています。一瞬で苦労して建てた自分の家が流されていくのは堪らない事でしょう。心中お察ししますと共に、復旧が速やかになされるように祈るばかりです。
そんな日々で、改めて思わされるキリストの短い譬え話があります。

「二人の人が家を建てた。一人は岩の上に家を建てた。雨が降り、風が吹いてその家に打ちつけたが倒れなかった。もう一人が家を建てた。砂の上に家を建てた。雨が降り洪水が押し寄せるとその家は倒れてしまった」(マタイ7:24-27)

これは建築のお話ではありません。「家」に喩えられるのは、教育をつけ、能力を磨き、財を蓄えていくという人生を築いていくことです。又家が建っているその「土台」とは人生の支えになる土台のことです。振り返ると私たち日本人は今まで、「家」を建てることー即ち、教育や資格、出世や富の所有といった事に全精力を傾けてきたと思います。しかしその家も一瞬の災害で崩れてしまう現実を知るとき、家を建てることに勢力を費やしてきたことから方向転換して、その「家」をどんな「土台」の上に建てるかかという人生の土台が極めて重要であることを考えさせられるのです。

こんな方がおられました。その方の生き甲斐は仕事、支えは健康と家族という方です。よく働く方でその甲斐があって支店長にまでなられました。憧れのデスクです。支店長になって3ヶ月した頃、出勤して椅子から立ち上がろうとしたとき、胸の真ん中あたりに激しい痛みが走り意識を失って病院にかつぎ込まれました。心筋梗塞でした。10年間、風邪を引いた事がない程、健康に自信があった方でしたので無理が重なっていたかも知れません。直っても前のように仕事ができなくなる、そんな不安の中で本店の社長さんが来られ、退職を迫られてしまったのです。仕事や健康に裏切られ、家族も慌てふためく、三つの支えがぐらついてしまったのです。そんな日々、病院でラジオから流れてくる心に染み通るお話、心を慰めてくれる歌、それは聖書であり、讃美歌でした。思うことがあって聖書を買い求められました。私がお会いしたときは、分厚い聖書の半分くらいまで読んでおられ。こう言われました。「いやあ、仕事も健康も当てになりませんね。病気になって初めて聖書に出会い、私は健康なときには得られなかった人生の支えと安らぎを得て感謝しています」と。

あなたも「家」を築くことから家の建つ「土台」を求めてみられてはいかがですか。

牧師 中西正夫

第130回 2013年7月の言葉

「回復へのステップ」音声で聞く

梅雨の時期、何となく憂鬱な気分になってきますね。先日、ある健康雑誌にこんな事が書いてありました。「誰でもモノの見方にはその人なりの癖があり、この歪みを修正していくことができれば、心の気持ちを変えることができる」と。つまり、モノの見方(視点)を変えることによって、思いや感情を変えることができ、これが心身の回復につながっていくということです。

聖書にもこんな言葉があります。「力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれ(心)からわく(箴言4章23節)。」これは今から3,000年ほど前に語られた言葉です。「考える内容には注意しなさい。あなたの人生を形作るのは、あなた自身の考え方だからです」という意味です。どんな情報を取り入れ、物事をどう捉えるかによって、私たちは幸せにも不幸にもなるのです。人生を変えたいと願うなら、考える内容を変えなければなりません。つまり新しい考え方を持つ事から、回復の人生が始まるということです。これはまさに、聖書の得意分野です!

ゴスペルシンガーの森祐理さんは、阪神大震災で大切な弟を失いました。昨日まで元気だった弟が、今日はもういない…。この受け入れ難い事実に、心にぽっかり穴が開いてしまいました。しかし弟の遺体と向き合った時、心の耳にこんな声が聞こえてきたそうです。

「お姉ちゃん、俺、死んでないよ!俺、もっといい所に行ったから、心配すんな。」そうだ。弟は天国に行ったのだ。小さい頃から一緒に教会学校に行って、イエス・キリストのことを信じていた…。だから今、弟はイエス様と一緒に天国にいる。私も天国に行って、また弟に必ず会える!そう確信できた時、「何や、お姉ちゃん。泣いてばっかやな」じゃなくて、「よくやったな!」と言ってもらえるように立ち上がろうと思えるようになったそうです。

彼女はこう語っています。「心に穴が開いたことが、私にとって第二の人生のスタートになり、今では感謝できるようになりました。弟の死を通して、1人でも多くの人が天国への希望を見出すことができるように、私はこれからも歌っていきたいと思います。」森祐理さんの美しい歌声は、東北の被災地をはじめ、今日もどこかで元気に響いています。

今、心が憂鬱だという人も、自分の力で頑張ろうとしないで、ぜひ聖書の言葉をお知りになっていただきたいと思います。希望に溢れた聖書の言葉によって、あなたの心もきっと晴れるでしょう。

伝道師 後藤献四郎

第129回 2013年6月の言葉

「わたしはあなたの名を呼んだ」音声で聞く

あなたは自分が産まれた時の事を母親に聞いた事がありますか?すると母親は「あんたが産まれた時こうだった、ああだった…」と嬉しそうに語るでしょう。へその緒まで持ってきてくれる。聞く側も素直に幸せな気分になる。その幸せ気分の理由は、きっと存在そのものに価値があるからだろうと思います。しかし社会に出始めると、やれ肩書きだ、地位だ、成績だ、能力だ…と競争社会に身を投じることになります。自分を磨くのはいいのですが、問題は身につけた物だけで価値が決められてしまうという事です。だから中々安んじて生きる事が出来ないわけです。しかしここに、あなたがいつになっても存在そのものに愛と価値を置いて下さるお方がいます。聖書を通して神はこう語っておられます。 「わたしはあなたの名を呼んだ」(イザヤ43章1節)

神様はあなたの名前を呼ばれるというのです。この聖書が意味する事はこうです。

第1に「あなたを知っているから呼んでいる」ということです。

「知っている」とは、あなたの全てを知っているとの意味です。どんな境遇で、どんな悩み悲しみがあるかも全てを知っている。しかもあなたが神を求める遙か前からあなたのことを知っているのです。なぜなら神はあなたの造り主であるからです。

第2に「あなたを本当に愛しているから呼んでいる」ということです。

愛しているときは名前を愛を込めて呼べるが、仲違いすると、途端に名前が呼べなくなりますね。それは人類の最初人間アダムとエバの時代からそうでした。アダムは神様から命じられていたことを破り、それが発覚した時、エバのことをこう言います「あの女が…」と。しかし神様は、私たちがどんなに弱く罪を犯したとしても名前を呼んで愛し回復させて下さるのです。「わたしの目にあなたは高価で尊い」(イザヤ43章4節)

神に愛されている実感が無いという人がおられますが、神の御子イエス様が十字架にかかって私達の罪の裁きを受けて下さったという歴史の事実において神の愛を示されています。大切なことは実感よりも事実に目を留めるべきでしょう。

第3に「あなたでなければ出来ない使命があるから呼んでいる」ということです。

時々質問を受ける事で「やはり問題は私の性格ですよね。性格って変わらないんですか」とお聞きします。私がお答えすることは「性格は神様が造られたので基本的に変わりませんね。でも性格は変わらないかも知れませんが人生は変わりますよ」と。多くの方が神の愛に変えられて使命を持って生きるよう導かれるのです。

あなたの名を呼んで素晴らしい計画をしていてくださる神様をあなたもお知りになりませんか。

牧師 中西正夫

第128回 2013年5月の言葉

「愛していることを忘れないで」音声で聞く

東日本大震災から早2年。3.11は私たちの価値観に大きな影響を与えました。「仕事第一の生活を見直し、家族を大切にしたい」という人が増えています。人は誰でも「愛されたい」と願うものですが、一方で「誰が私を本気で心配してくれているだろう?私を心から愛してくれるのだろう?」と不安を抱えている方も多くおられます。「どうせ私なんて…」と思われる方がいたら、ぜひ聖書の言葉に目を留めて下さい。Ⅰヨハネ3章16節の言葉です。

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって、私たちに愛がわかったのです。

先日、中国の四川で地震がありましたが、5年前(2008年5月12日)にも、同じ四川で大地震が起こりました。翌日、ある救助隊員が、瓦礫の下敷きになっている女性を見つけます。彼女は既に死亡しており、救助隊員が他の生存者を探そうと、その場を離れようとしたその時、うつ伏せなった彼女の腕に、男の赤ちゃんが抱かれているのを発見しました。この子は何と、まだ生きていたのです!

毛布に包まれた生後3~4ヶ月の赤ちゃんは、幸い無傷で助かりました。この子と共に発見された携帯電話には、母の最後のメッセージが残されていました。「かわいいわが子よ。あなたがもし生き延びられるなら、私があなたを愛していることを忘れないで。ママはいつまでもあなたを愛しているのよ。」

自ら犠牲になって命を捨てるほど愛されたこの男の子は、将来どんな大人になるでしょう。

愛されているのは、この子だけではありません。あなたも神に心から愛されているのです。教会の上に掲げられた十字架は、その事を表しています。私たちは皆、罪を持っており、そのままでは誰も天国に行くことはできません。イエス・キリストは、そんなあなたや私を救い出すために、十字架の上で身代わりの裁きを受け、命を捨てて下さったのです。

この方を受け入れる人は、すべての罪が赦されて、永遠の命を与えられます。聖書は別名、“神からのラブレター”。生きる希望と喜びは、ここから始まります。あなたもぜひ、教会へお越し下さい。神の恵みと祝福を祈ります。

伝道師 後藤献四郎


第127回 2013年4月の言葉

「自分を肯定する」音声で聞く

牧師を37年間してきて多くの方々と接してきましたが、「生きづらい

と思っている方がたくさんおられます。地上には様々な命がありますが、その中でも、最高の命である人間として生を与えられたのですから、生き生きと生きてほしいと思いますが、現実はそうではないという思いで、辛く生きている方が多いのです。どうすれば、生き生きと生きていけるでしょうか。その秘訣について思うことを以下に書いてみます。


「五体不満足」という本で有名な乙武洋匡さんという方の事を聞かれた方も多いと思いますが、最近の本で『自分を愛する力』という本を出されました。その中で乙武さんは「自己肯定感という事について語っておられます。「自分には障害があるにも関わらず、前向きに楽しく生きてこられたのは、この「自己肯定感

にあると気づき、今回この本を執筆した

と語っておられます。確かに自分を否定していては、生きることに前向きになれません。では問題はどうやって「自己肯定感」を見いだすか?

それについては「自分はかけがえのない存在だ」と自分自身のことを認める気持ちが大切だと語っておられます。ただ、そうなのですが、自分が自分に向かって「自分は掛け替えのない存在だ」と語っても大した力にはならないですね。人間は人格的存在ですから、自分以外の人格から、そう語られることが必要なのです。数年前に出た日本公共広告機構のキャッチコピーに

「命は大切だ、命を大切に。そんなことなん千回、何万回言われるより、だれかが「あなたは大切だ」って本気で言ってくれるなら、それだけで生きいける」

とありましたが、その通りなのです。でもこの願いに応えてくれる力強い存在はいるでしょうか。はい、いるのです!

聖書にこうあります。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章4節)

この言葉は、世界を造り、あなたを造られた創造者である神のあなたに対する言葉なのです。ここから「自己肯定感」が生まれていくのです。

どうぞ、この神の言葉を知られ、生き生きと生きていただきたいと思います。

        

牧師 中西正夫


第126回 2013年3月の言葉

「明日の心配をしなくても良い」音声で聞く

今年の大河ドラマ"八重の桜"が好評を博しています。主人公・八重の生き方は、厳しい現代に生きる私たちに勇気と力を与えてくれるのです。彼女の夫であり、同志社大学の創立者である新島襄をご存知の方は多いでしょう。私は最近、この人の伝記を読みました。

襄は10歳の時に黒船が来航します。それ以来、彼は「外国の学問を学んで、お国の役に立ちたい」という志を持つようになりました。やがて彼は聖書と出会い、この世界と自分をお造りになった神の存在を知るようになります。当時は海外渡航が禁じられており、留学は命がけの行為でした。しかし周囲の人々が襄に協力し、彼は見事に出国に成功します。アメリカでは、お金もなく、英語も話せず、知り合いもいませんでした。ここでも不思議と「襄を助けたい」という男性ハーディが現れます。この頃、襄はクリスチャンになりますが、ハーディは学費や下宿費などを惜しみなく提供し、襄は10年程教育を受けることができました。日本から派遣された外交官とも親しくなり、その人が日本政府に働きかけてくれたお陰で、帰国する際も事なきを得たのです。(後に日本から来た岩倉使節団(伊藤博文、大久保利通など)に招かれて通訳を担当します。)大学の建設費用はアメリカから支援され、様々な困難を経ながらも同志社設立は実現したのでした。

襄は行く先々で理解のある人に出会い、幾多の試練を乗り越えて、不思議と道が開かれます。これらはすべて偶然に起こったのではなく、神が襄に目を留められ、人や環境を用意しておられたとしか思えません。さすがは偉人のサクセスストーリーだと言われるでしょうか。けれども彼は幼少の頃から何度もムチ打たれ、船上では西洋人から酷い扱いを受け、アメリカではリューマチにとても苦しんでいます。決して雲の上の人ではないのです。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから明日のための心配は無用です。」   マタイ6:33-34

あなたに必要なものはすべて、神がご存知です。神はあなたのことを気にかけておられ、明日の心配をする必要がないように導いて下さいます。あなたを造り、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられる神を、ぜひ知って頂きたいと思います。神は、あなたの将来のことも、ちゃんと保証して下さるのです。

伝道師 後藤献四郎

第125回 2013年2月の言葉

「道は開ける」音声で聞く

2月は受験生にとっては命運別れる月でしょうし、勤めを持つ方にとっても春からの人事や仕事でハラハラする月でしょう。上手く行けばいいですが、将来の光が見えないと悶々としている方も多いのではないかと思います。でも「道は開ける」のです。

1970年アメリカが打ち上げたアポロ13号は55時間後、地球から33万㎞離れたところで、酸素タンクが爆発し、宇宙船内の大半の酸素が失われるという大事故に遭遇したのです。酸素喪失は宇宙船内の全機能停止に至り、宇宙誘導装置が止まって、永遠の彼方に飛んでいってしまう事を意味します。乗っている宇宙飛行士達の死は確実という重大事故であり、NASA宇宙局ではアメリカ大統領の殉職声明文も用意した程です。そんな絶体絶命の中で3人の乗組員達はもう諦めて死の恐怖に陥っていたのでしょうか。そうではなかったのです。全員クリスチャンであった彼らは聖書の言葉を信じていたのです。

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えることができるように、試練とともに、脱出の道を備えてくださいます」(第1コリント10章13節)

この言葉を信じて共に神に祈ったのです。すると素晴らしいアイデアが生まれたのです。それは宇宙船を捨てて月面着陸船に乗換え、着陸船内の酸素と電気を使えば、地球になんとかして戻る事ができるのではないかというアイデアです。そして見事に奇跡の生還を遂げたのでした。

これは特別なケースを思えるかも知れませんが大切なことは、前を見て、横を見て、内を見てダメでも、まだ上を見上げる世界、神を見上げる世界があるのです。「道は開ける」のです。自分の人生で光が見えないように思えるところから、聖書を通して「道は開ける」世界をお知りになることをお勧めいたします。

  

牧師 中西正夫

第124回 2013年1月の言葉

「自分自身に本当になれたのか」音声で聞く

ある演技派女優のMさんの言葉に「ホント、そうだなあ」と考えさせられる事がありました。演技者として他人の演技と比較して悩んだ時期もあったようなんですが、こう言われたんですね。「自分は自分。誰かになれるわけではないし、それよりも自分自身に本当になったのか。それこそ突き詰めて考えるべきだ」 

「本当に自分自身になったのか」これって、生き生き生きる人生に不可欠な一種の悟りのようなことではないかと思います。考えてみれば地球に70億もの人が住んでいるのに、二人と同じ人はいない。にもかかわらず、他人のようになろうとしたり、他人の目や言葉を気にしたり、時には恐れたりもしてしまいます。すると自由がなくなり、ノイローゼにもなってしまうわけです。自分である、自分らしく、本来の自分自身を本当に生きれたら、気持ちが良く、生き生き人生にもなるのでしょうが、これがまた至難の業、簡単なようで難しいですね。どうしたらいいんでしょうか。

大きなヒントは、自分の創造者を知るって事ではないですか。自分の創造者?そうなんです。実は聖書によれば、私たちは「神の作品」だと書かれてあります。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをも、あらかじめ備えて下さったのです」(エペソ2章10節)

他人への目線を止めて、この創造者を知ることから、自分らしく生きる道が開かれるのではないでしょうか。しかも「良い行い」をしようと焦る必要もないのです。なぜならその「良い行い」をもあらかじめ備えられているというのですから。

新しい年の初めに、あなたの創造者を覚える人生、創造者に聞く人生を始められることをお勧めいたします。

牧師 中西正夫

第123回 2012年12月の言葉

「キリスト教は何てたって福音!」音声で聞く

キリスト教を求めて礼拝に来られる方が多くおられます。それ自体嬉しいことですが、最初の作業は「誤解」を取り除くことが結構多いのです。例えば、マザーテレサのような方が有名ですから、キリスト教とは何かボランティアのような慈善を行うことと考えたり、又ある方は、聖書の言葉を一つ一つ実行していく修行と考える方もおられます。また説教を「人生訓を教える講演会」のようにして聞く方もおられます。でも本当のところキリスト教とはそういうものではありません。キリスト教とは「福音」,グッド・ニュース!なのです。つまり神が人類に救いの道を開いて下さったという福音なのです。 クリスマスが祝われる12月ですが、最初のクリスマスの夜、神が羊飼い達に語られた言葉が聖書に記されています。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2章10節、11節)

この知らせを聞いた羊飼いたちは、それが事実であることを確かめ、早速人々に伝えたと記されています。この福音はみんなに伝えなければならないほどの「素晴らしい喜び」だったのです。なぜならキリストにこそ人類の不幸の原因である罪と死の解決があり、不安からの解放があり、いつまでも尽きない希望と愛があり、充実した豊かな生き甲斐を見いだせるからです。 あなたもこの12月、ぜひ教会においでになり、「素晴らしい福音」を確かめてみて下さい。心から御案内いたします。 牧師 中西正夫

第122回 2012年11月の言葉

「見えないところで動かすお方」音声で聞く

先日有る男性の病床洗礼式を行いました。その方は20年前、筆者が毎週行っている駅前伝道で出会った方でした。駅のプラットフォームに立って電車を待つ方々に向かって、私は椅子の上に立ちマイク片手に、聖書の話を現実の問題にも触れながら語るのですが、その話を私が立っている後のタクシー会社の中で聞いておられたというのです。それで話が終わってから私に近づいてきて、こう言われました「今まで何回も聞いて来ましたが、私も教会に行きたいのです。よろしいですか」。まさか後で聞いておられたとは思わなかったのですが、その様な出会いから始まったわけです。でもその求道は紆余曲折でありました。数年間は教会生活を続けられましたが、キリスト教にも心引かれながらも、先祖伝来の仏教との関わりをどうするか、家族の問題など…様々な問題に悩まれ、時に頑なにキリスト教信仰を持つことは不可能という段階も通られたのです。そして教会から遠のかれもしたのです。その後、再会した時は、脳梗塞になられた後でした。半身不自由ではありましたが、幸い言葉と思考には障害が無く、会話も普通にできたのは感謝な事でした。そしてついに信仰告白に至り、この年の10月29日、洗礼という恵に至った訳です。その日は、北海道からクリスチャンの妹さんも馳せ参じ、「いつくしみ深き」を歌う中、車椅子に座っての感激の涙の病床洗礼となったわけです。

この事を通して思わされることは、この20年間、病や問題という一見この世的には不都合と思えることを越えて、神様はご自身による救いを成し遂げられるということです。聖書にこうあります。

「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは、いつまでも続くからです」 (Ⅱコリント4章18節)

これを読み、或いは音声で聞いて下さっているあなたも、「見えるもの」が山のように大きく立ちはだかってしまい、悩まされているかもしれませんが。本当のところあなたを支配するのは見えるものではなく見えないお方ー神様なのです。ぜひあなたも祝福の神様への信仰をもって進んでいただきたいと思います。

              牧師 中西正夫

第121回 2012年10月の言葉

「リフォーム工事」音声で聞く

この二ヶ月間、教会ではリフォーム工事をしてきました。より機能的になるのは嬉しいことです。テレビ番組に「ビフォア、アフター」がありますが、壊すしかないと思われた家が実に美しく機能的になるのに驚かされることがあります。

人生でもそういうことが起こります。聖書には「再起不能」と回りからも自分からも思わされてきたひとりの女性が出てきます。この婦人は5度も結婚、離婚を繰り返し、そして今は別の男性と同棲しているという女性です。井戸に水を汲みに来ないと生活が始まらないので、仕方なく来るのですが、井戸の水汲みは水がつめたい早朝と相場が決まっているのに、彼女は暑い昼下がりを選ぶのです。それは「またあのふしだらな女が来たよ」と世間の噂話の対象になるのが嫌だったからです。彼女は人生に喜びも希望も力も失っていたのです。そんな彼女ですが、その暑い昼下がり、その女性を待ち続けているお方がいたのです。その方はその婦人に話しかけました。

「水を飲ませてくれますか」

「あなたはユダヤ人なのにどうしてサマリヤ人の私に飲み水を求められるのですか?…それに汲む物もなければ井戸は深いのです。どうやって水を得られましょうか」

彼女の言葉は人生と同じで何事にも否定的です。

するとそのお方は言われました。

「この水を飲む者はまた渇きます。しかしわたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことがないばかりか、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」

「この水を飲む者はまた渇きます」とは、まるで彼女、イヤひょっとして私たちの人生そのものを象徴しているのではありませんか?また渇いてしまうような人生です。…会話はもう少し続くのですが、彼女は飲めばまた渇く生き方ではなく、いつまでも渇くことがない新しい人生を得ることになるのです。

その様な人生をお与えになったお方こそイエスキリストです。そして今も世界中の人たちに「人生のリフォーム」をしておられます。このお話はヨハネの福音書の4章にありますが、ぜひお読み下さい。祝福をお祈りしています。

              牧師 中西正夫

第120回 2012年9月の言葉

「召天について」音声で聞く

先月教会員の婦人が亡くなられました。75才でした。二年前から悪性リンパ腫という大きな病との戦いのなかで、治療を続けてこられたのですが、心不全になられ地上の生涯を終えられたのです。

大きな病に倒れ、それで死を迎える場合、多くの方は「病に負けて死なれた」と表現します。でも聖書を通して神を信じることができるようになりますと、死は全く違う意味をもたらします。つまり、人は病に負けて死ぬのではなく、神がその方を天国で必要とされる時が来たので、地上の生涯を終えて、天国に召された、召天された、ということがわかります。地上で果たすべき使命を終えられたので、神が新たにその方を天国で必要とされたので召されたのだ、ということです。

事実、その婦人は地上の使命を充分果たされた生涯でした。

人は肉体を持つ以上、やがて衰えてきます。地上にできる限り長く生きることを願いますが、衰えたままの生命は、特に痛みや苦しみを伴う病の中にあっては、それから解放されることも、時に慰めになるのではないでしょうか。しかも、聖書は天国という世界についてこう語っています。

「神は…彼らの目の涙をすっかりぬぐい取って下さる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(黙示録21章4節

このような希望に満ちた世界があるのは何という慰めでしょうか。

教会での葬儀の後、ある方がこう言われました。「先生、私はクリスチャンではありませんが、聖書のお話を聞いていて、そんな世界があるなら、私も教会で葬儀を挙げてもらえませんか?」とF。

あなたは「召天」と言える世界をお持ちですか。それとも「死」だけの世界ですか? 一度お考えになってみて下さい。

              牧師 中西正夫

第119回 2012年8月の言葉

「人生の金メダル」音声で聞く

今年はオリンピックイヤーで、今ロンドンは熱く燃えています。次々と日本人選手活躍のニュースが飛び込んできて、一喜一憂の日々です。アスリート達は4年間、メダル獲得を目標に掲げ切磋琢磨してきたわけですから、思う存分力を発揮して活躍してほしいですね。

ところで、人生にも金メダルがあると聞けば驚かれる方もおられるでしょうか。聖書では古代ギリシャの競技者に与えられる最高の栄誉である「冠」という言葉が使われていますが、こんな聖書の言葉です。

「競技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」(Ⅰコリント9章25節)

聖書によれば、アスリート達に与えられる冠だけではなく、人生という競技にも冠があるというのです。聖書が強調しているのは以下のことです。

「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。」と。

つまり、人生のゴール、明確な決勝点にたどり着くことこそ冠を受けることだと語っているのです。そのために必要なことはただ一つ、人生のゴールを間違って走ってはいけないということです。人生のゴールとは何でしょう?成功者になることでしょうか?お金持ちになることでしょうか?有名人になることでしょうか?優秀な学校を卒業することでしょうか?そうではないのです。死後に天国という世界に入れる者になることこそ確かな決勝点だと語っています。

ではどうしたら天国に入れるでしょうか。天国という世界は誰でも行けると考えてはいけません。実はだれでも行ける世界ではないのです。なぜなら清い神様の天国に行けるためには、罪を洗い清められていなければ行けないのです。

殺人や盗みといったこの世の語る罪ということ以上に、神に造られている人間が神を無視して生きていることこそ罪の根で有るのです。ですからその罪を赦していただくことが必要ですが、善行や努力では足りないのです。でもここに素晴らしいニュースがあります。それは神のひとり子であるイエスキリストが私たちの罪を清めて下さるために、二千年前に十字架にかかり、救いの道を開いて下さったのです。そのキリストを救い主と素直に受け入れる者が天国に行けると約束されています。それこそ人生の金メダル、冠を受ける道だと聖書は語っています。あなたもそうされませんか?祝福をお祈りいたします。

              牧師 中西正夫

第118回 2012年7月の言葉

「有能な人」よりも「有益な人」音声で聞く

映画界では「不況の時の『十戒』頼み」という表現があるそうです。映画館に人が集まらないときに、あのモーセの「十戒」の映画をすると、何とか採算が合うという話です。

今日お話ししたいのは、そのモーセが40才の時と80才の時のモーセのことです。ユダヤ人なのに不思議な運命でエジプトの王子として育てられたモーセが40才の時王宮の外で見たものは、同胞の民が奴隷としてエジプト人に苦しめられ虐待されている有様でした。ついに見るに忍びなくなった彼は、ユダヤ人解放の革命を試みます。それは彼には権力も富も知識も雄弁さも兼ね備わっている「有能な人」であったからです。でも全くその試みは失敗しました。更に人殺しまでしてとうとう逃亡者になり、荒野に逃げ隠れして羊飼いに成り下がってしまいます。そして40年の歳月を経ます。もうここまでかと思った時、神はそのモーセを召し、新たにエジプトに遣わして民の解放者としての使命を与えられたのです。でもその時は、何度もその召しを渋り、「もはや成し遂げる力もありません」と辞退をするのです。しかし神様はそのモーセを召してついにエジプトにいる民の解放者としてお用いになるのです。モーセ80才の時のことです。その後の活躍は映画の「十戒」通りです。

40才の時のモーセは「有能な人」でした。でも80才の時のモーセは有能さからは程遠い人物になっていましたが、神様の働きに「有益な人」だったのです。この事をステパノという人がこう語っています。

「彼(40才の時のモーセ)は自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした」(使徒7:25)

そして80才の時のモーセのことを:

「誰があなたを支配者や裁判官にしたのかといって人々が拒んだこのモーセを神は…御使いの手によって支配者また解放者としてお遣わしになったのです」(同7:35)

大切なのは自分が「有能」かどうかではなく、「有益」かどうかなのです。そして有益な人になる秘訣は、自分の力や知恵を過信することなく、神を信頼し自らを神に委ね神に用いられていく人になることです。 祝福をお祈りいたします。

              牧師 中西正夫

第117回 2012年6月の言葉

「思い通りに行かない時」音声で聞く

あなたは、自分の人生、スイスイと思い通りに来たでしょうか。大概は思い通りに行かず、時に地団駄踏むことも多いのではないでしょうか。

以前こんな事件がありました。16才の高校生が靴屋さんで「この靴は高すぎる!」と文句を言ったところ、「この靴でこの定価はむしろお安いですよ」と店員さんが応えたところ、そこにあったバットでめった打ちにし、殺してしまったという事件。その高校生は学校の成績も良く、家庭でも問題はなかったという事だったようです。真の問題はどこに?と思ってしまいますが、「自分の思い通りに行かない」という事で爆発してしまうケースが世の中には実に多いです。

でも、多くの人を見、聖書を学んできた者として言えることは、人生は思うままにならないのが当たり前なのです。それはある意味で有り難いことであるのです。人間の思いの中には良い願いもあれば、よこしまな願いもあります。ですから何でも思い通りになるとしたら、それは空恐ろしいことでもあります。自分の思い通りにならないからこそ、人生は深くなるし思慮も謙遜も生まれて人格も磨かれていくのです。

聖書にパウロという伝道者が出てきますが、彼には肉体的なハンディがありました。それを「肉体のトゲ」と自分で表現しています。これを取り除いてほしいと神に何度も訴えるのですが、答は否!でした。ところが神様の言葉が続きました。「わたしの恵はあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(第2コリント12:9)

この経験は現代に大切な真理を含んでいます。パウロは自分の願い通りにならなかったのです、その弱さの中で神の特別な力と祝福を頂く素晴らしい人生が展開したのを知ったのです。

あなたも思い通りに行かない人生を悩んでばかりいないで、聖書の語る素晴らしい人生をお知り下さい。心からお勧めいたします。

              牧師 中西正夫

第116回 2012年5月の言葉

「心の叫びが聞こえますか」音声で聞く

西条八十という作詞家が作った童謡に「カナリヤ」という歌があります。

「歌を忘れたカナリヤは、後の山に捨てましょか。いえいえそれはなりませぬ。
歌を忘れたカナリヤは瀬戸の小藪に埋(い)けましょか。いえいえいそれはなりませぬ。
歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか。いえいえそれは可哀そう。
歌を忘れたカナリヤは象牙の船に銀の櫂。月夜の海に浮かべたら忘れた歌を思い出す」

この歌は早稲田大学を卒業したものの、作った詩も売れず、家業の天ぷら屋を営んでいたときに作った歌でした。天ぷら屋さんがうらぶれているのでは毛頭ありませんが、作詞家を目指していた西条八十にとってはすさんだ気持ちだったのです。


ところで鳥の本文が歌うことなら人間の本文は何でしょうか?仕事をすることでしょうか。もしそうなら仕事自体できないでいる障害者の方や、やむを得ない状況で仕事に就けない人は人間の本文から外れているという事になってしまいます。
人間の本文とはもっと違うところにあります。
「ウエストミンスター大教理問答」というキリスト教の問答集の中の第一問に「人間の主な最高の目的は何であるか」という質問があって、それに対する答はこうなっています。「人間の主な最高の目的は、神の栄光を現し、神を永遠に全く喜ぶことである」つまり、仕事ができようとできまいと、体が健康であろうとなかろうと、人間が創造者である神によって造られた自分を自分らしく生きることによって、神の素晴らしさを讃え、喜びをもって生きることーそれが人間の最高の生きる目的である」というのです。
先ほどの童謡にあった歌うことを忘れて価値を見失ってしまったカナリヤのような思いで生きておられる方がいたら、ぜひ聖書を通してあなたの創造者を知られ、本来の生きる喜びを体験していただきたいと願っています。
「苦難の日にはわたしを呼べ
わたしはあなたを助け出そう。
あなたはわたしを崇めよう」
(詩篇50:15)

              牧師 中西正夫

第115回 2012年4月の言葉

「祈りが聞かれた!」音声で聞く

牧師をしていると、神の全能の力に圧倒されるときがあります。数週間前の素晴らしい出来事をお話しましょう。

私が奉仕している金剛教会の教会員Mさんのお父さんは86才で世界救世教の浄霊の教師を50年もされてきた方です。Mさんが神様の愛を知って以来、何とか家族にこの愛を知ってほしいと祈り続けてきたのですが、さすがに、お父さんは頑と拒否し「我が道を行く」という状態のままだったわけです。しかし、突然脳梗塞になられ入院。半身不随になられ、また言葉もほぼ不能の状態。Mさんは遠い入院先まで通い続け熱心に伝道し、「イエス様を信じる?」の問いかけを続けたのです。ある時のこと、同じように「イエス様を信じる?」の問いかけに、かろうじてできる手を握る反応をもって信仰の応答をされたのです。それで「牧師先生に来ていただく?」にも手を握り返され、そして翌々日、私も伴って病院先にでかけ、尋ねました。「Sさん、人間はこの地上の人生ですべて終わるのではないですよ。私たちをお造りになった神様は、死んだ後にも行ける永遠の天国を用意しておられます。でも人間は罪深いから、そのままでは行けません。それで神の御子イエス様が十字架にかかって身代わりに罪の裁きを受け、御自分を罪からの救い主と信じるなら、罪を赦し永遠の命まで下さるのです。イエス様を信じますか?信じるなら手を握り返して下さい」そう尋ねると、何と言葉で「はい」と答えられ、しかも手を握り返されたのです。更に「嬉しいことです」とさえ「言葉で」語られたのです。祈りを捧げ感謝をしながら帰宅したのですが、その夜、教会員であるお孫さんから連絡が入り、「召天しました。まるで先生を待っていたかの様なタイミングでびっくりしました」と。驚くばかりの恵です。

どこで人生のどんでん返しがあるかわかりませんね。また見える状況だけで判断しては行けませんね。祈り続けたいものです。


キリストの言葉:
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば、開かれます」
(マタイ7:7)

              牧師 中西正夫

第114回 2012年3月の言葉

「まじめだけではどうにもならない」音声で聞く

これを読んだり聞いたりして下さる方の中には「まじめ」な方が多いと思います。「まじめさ」は日本人の美徳でもあり、その努力が日本の繁栄にも繋がってきたのでしょう。しかし今日の日本の現実は「まじめ」だけではどうにもならない挫折に直面しているのではないかと思うのです。予期せぬ天災、人災のために、長年築き上げてきた努力が水の泡になってしまうわけです。

3千年前にソロモンという人が聖書に書き表した言葉にこうあります。

「人が見て自ら正しいとする道でも
その終わりは、ついに死に至る道がある」(箴言14章12節 口語訳)

自分で正しくまじめな生き方を目標としてきても、ついには死に至る道がある、とは何という警告でしょう。でも、今正に日本が経験している現実ではないですか?そこで再考していただきたいことが二つあります。

一つには「人生のゴールを間違っていませんか?」ということです。

目先の成すべき一つ一つ、例えば、仕事なり、勉強なりをまじめに積み上げていけば地位も財産も目指すべき学校も得られると考えるのですが、はたして目先の目標をまじめに積み上げることが人生のゴールでしょうか?

キリストが教えられたお話です。

「ある金持ちが一生懸命働き、その畑が豊作を迎えます。彼は蓄えておく場所が狭いということで一計を案じ、倉を大きくし、そこに収穫物を蓄えればよいと考え、そして自分の魂にこう言うのです。『何年分も蓄えた。さあ我が魂よ、安心して、食べて飲んで、楽しめ』と。しかしその後、神は言われるのです。『愚か者。あなたの魂は今夜にも取り去られるであろう。そうすれば自分が蓄えたものはどうなるのか。自分のためには蓄えても、神に蓄えがないのはこうなるのだ』と。」(ルカ12章16-21節)

まじめさは素晴らしい性質ですが、それだけでは人生、報われません。人生のゴールをこの世の繁栄にだけにおく目標設定ではなく、天災にも人災にも壊れない神を愛し人を愛するという人生のゴール設定をお勧めしたいと思います。

二つ目は、「そのまじめさは何を基準にしてのまじめさか」ということです。

言い過ぎかも知れませんが、独りよがりのまじめさに陥ると他人を傷つけ自分も傷つき易くなります。正しいまじめさの基準をぜひ聖書においてください。

              牧師 中西正夫

第113回 2012年2月の言葉

「豪雪で守られたとは!」音声で聞く

今年の冬は寒波が激しく、北海道や東北で雪による被害が連日報道されています。心からお見舞い申し上げます。しかし今日はその雪で守られたお話をしたいと思います。

第二次世界大戦の時、ポーランドのある小さな村に恐ろしいニュースが飛び込んできました。それはドイツのヒットラーの軍隊が辺り一帯を一網打尽に攻撃しにやってくるというニュースです。村の人々は怯え、その村の教会に集まりお祈りの時を持ちました。その中でひとりの少女が詩篇5:12読んだのです。

「主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾を囲むように愛で彼を囲まれます」

村の人々は恐怖と不安の中で眠れぬ夜を過ごしましたが、この聖書の言葉に励まされ、神の守りをひたすら祈り求めつつ一夜を過ごしたのです。やがて次の朝、まだ薄あかりの中、外に出てみますと、どうでしょう。家々を囲む木立に一晩で豪雪が降り積もり、村の教会はじめ家々がスッポリと囲まれていたのです。そればかりか辺り一帯銀世界でその境目も分からない状態でした。しかし道には何百と靴の足跡がついていたのです。軍隊は深夜に確かにその村を行進していったのです。ただ回り一帯の真っ白な木立の向こうに家々があることが分からぬままに通り過ぎていったのでした。神様は大雪を降らせて、村の人々を「大盾を囲むよう囲まれ」たのでした。

神様は子供であれ、大人であれ、神様に依り頼む者を守り支え、時には「囲い」を設けて覆ってくださいます。

あなたもこのような愛の神様をお知りください。またいつでも教会の礼拝にお出かけください。心から御案内いたします。              牧師 中西正夫

第112回 2012年1月の言葉

「あなたの人生の祝福計画」音声で聞く

あけましておめでとうございます。昨年は日本全体が大変な試練を経験した年で、今なお被災地の方々には困難な生活が強いられておられます。これを聞きまた読んでくださるあなたの人生もまた厳しいものであったかも知れません。

そんな昨年を過ごした私たちですが、今日お読みしたい聖書は次の言葉です。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているかだ。-主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29章11節)

この聖書を取り上げたのは、昨年は辛い一年だったので、今年くらいは何か良い聖書の言葉を選びたいから、というような場当たり的な意味でお読みしたのではないのです。この聖書の言葉の背景は、イスラエルの民が70年間も国を失い、家族を失い、自分の名前まで変えられてバビロニア帝国の捕虜となって連れ去られるという決して忘れられない悲劇の「バビロン補囚」と呼ばれる時代の正に真っ最中で語られた神の言葉なのです。民はこれから始まるバビロンでの不安で恐ろしい生活に怯えていたことでしょう。全く将来も希望も見えなかった時に、神は驚くべき事を語られました。それは70年後に解放が告げられ、故郷に戻り、平安な日々が待ち受けていることを示されたのです。エッ?ホント?と疑ってしまうような御言葉です。しかしこの嘘のような夢物語のようなことが実際歴史に起こったのです。ペルシャ帝国の登場でバビロンは崩壊し、その初代皇帝クロス王による解放と国に戻る帰還許可、更には神殿再建許可と続く歴史の事実です。

この歴史の事実をふまえて、神は私たちに今日も語られます。「あなたの将来はわたしが計画している。平安と将来と希望の計画である」と。

神を信じていきませんか。神を知らなくて元々の人生であるとするなら、もしあなたが神を知って豊かな人生を体験するなら、これは最高ではないですか。あなたの祝福を祈っています。              牧師 中西正夫

第111回 2011年12月の言葉

たとい山々が海のまなかに移ろうとも音声で聞く

 

早いもので今年も12月を迎えました。この一年を振り返って、やはり忘れることができないのは、3月に東北で大地震と津波による未曾有の被害があったことです。多くの人々が津波に飲まれ、家々は流され、町は一瞬にして破壊されました。更には原発の恐怖が今なお日本を覆っています。営々と築き上げてきた財産も家も愛する家族も失うという悲劇の前に、人間の無力と嘆きを痛感します。 いったい何を支えにすればいいのでしょう??? 今から3千年ほど前、66巻ある聖書の一つに『詩篇』が書き加えられました。

その中の一節にこうあります。

「神は我らの避け所、また力。

苦しむ時、そこにある助け。

それゆえ、われらは恐れない。

たとい、地は変わり、山々が海のまなかに移ろうとも。

たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、

その水かさが増して、山々が揺れ動いても」(詩篇46篇1-3節)

この詩篇の書かれた時代にも、同じ地震や津波があったのでしょうか。

それを経験しているかのような表現です。とすれば、財産も家も家族も失ったかも知れないのです。そんな中で詩篇の作者は、人間的に依り頼むことの虚しさの中で、創造者である神、全能の神こそ「避け所であり力であり、苦しむ時、そこにある助け」だと告白しています。

人生にも同じ様な「騒ぎ立つ」経験をする時があります。三浦綾子さんというクリスチャン作家がおられました。青春時代に13年もカリエスのためにギブスに固められ、更には人生の後半になって直腸ガンやパーキンソンという重い病の連続の生涯を送られましたが、「氷点」に始まるベストセラー80冊近い本を書き、多くの方に深い感化を与えられたのですが、この方が講演会で開口一番こう言われました「一寸先は闇と申します。しかし私はイエス・キリストを知って、一寸先が光と変えられました」と。

あなたもこの不安な時代に、また一年のしわ寄せが来やすいこの12月、教会に出席され、聖書を通して揺らぐことのない確かな生き方を見いだされますようにお祈りいたします。                 牧師 中西正夫

 

第110回 2011年11月の言葉

「仏教の法事とキリスト教の記念会」音声で聞く

 

先日召天された教会員の記念会がお宅で行われました。ご家族にはキリスト教のことをご存じでない方もおられましたので、その中で、仏式で言う「法事」と、キリスト教の「記念会」ではどう違うのかについて以下のことをお話しいたしました。


お釈迦さん自身は死後のことを語っておられないのですが、弟子たちがお釈迦さんの死後は、極楽に行かれたであろう、そうあってほしい、と法要を行いました。インドでは7回忌を持ちます。それが中国に伝来されますと、今度は7回では足らない、10回忌となります。それが日本に渡りますと13回忌と、数がどんどん増えて行きます。つまり仏教では開祖のお釈迦さんでさえ解からぬ死後の世界に、「どうぞ死者が極楽往生して下さい」と祈り願うところの法要、それが仏教の法事であるわけです。ところが、キリスト教の記念会はまるで違うのです。死後の世界はかくあってほしいという単なる願いではなく、明確な天国という希望の世界に行くことができて感謝でした、という感謝会、それがキリスト教の記念会なのです。


勿論それには根拠があります。キリストが十字架にかかられた後、三日目の日曜日に死から復活され、その証人達が殉教をしてまでキリストの十字架による救いと復活を世界に宣べ伝えていった程の重い事実で裏打ちされています。

そして何よりキリストが言われた力強い言葉がこうあります。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)

この約束を信じることから、死後の希望が生まれるのです。


私自身牧師として何度も教会で葬儀、納骨、記念会を司式してきましたが、明確な希望をいつも感じてきました。あなたは死後に希望がおありですか。ぜひ考えてみて下さい。祝福をお祈りしています。       牧師 中西正夫

 音声で聞く

 

第109回 2011年10月の言葉

「祈らなくても神はご存じなら、なぜ祈る?」 音声で聞く

以前求道者からこんな質問を受けました。

「僕は京大の一回生ですが、仏教研究会の人から『祈るということがキリスト教にある以上、偽りの宗教だ。なぜなら完全に神を信じているなら、祈る必要など無い。神は全てを知って答えて下さる筈だからだ』という訳です。その理屈に賛成したくないのですが、そうとも思えるのです。一生懸命祈れば祈るほど、神を信じていない、というパラドックス、この矛盾を説明して下さい」

これは私自身も以前、感じていた疑問でもあったので、気持ちは分かるのですが、この間違いの元は、「祈り」とは何か、という理解の欠如です。つまり、仏教研究会の人の考えでは、

「祈り」=「願い」という定義で理解しているのですが、「祈り」=「願い」ではありません。勿論その要素があるのは事実ですが、基本は:

「祈り」=「神との対話」なのです。

人間の側から一方的に神に向かって願いを要求をすることではなく、神の素晴らしさを讃える賛美や、神の恵みに対す感謝や喜び、また反省も含めた悔い改めの祈りなど、「神との対話」なのです。確かに「願い」だけをいえば、キリストが言われたように、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたの必要を知っておられるからです」(マタイ6:8)という真理があるので、安心しながら神に委ねつつ「願い」を捧げるようになるでしょう。

あなたが信仰者として、また求道者として「祈り」に関して迷っておられることがあるなら、このメッセージを参考にしていただければ幸いです。神様の祝福があなたにありますように。

牧師 中西正夫

第108回 2011年9月の言葉

「延命」にまさる「永遠の命」    音声で聞く

この原稿を書く前日、教会員のある婦人から電話が入りました「入院している主人が危篤状態に入ったと病院から連絡が入りました」…。そのご主人は3年前に信仰告白と共に洗礼を受けられたのですが、その後も病気の連続でした。今回は動脈瘤破裂の危機の中で奇跡的に助かられましたが、その後の闘病生活の中で他の病気が見つかり危篤状態に入られたのでした。それでも手術をするかすかな道がなかったわけではないのですが、助かる保証はありません、ご家族は苦渋の決断の中から、信仰によって救いにあずかったそのご主人に成された神様の恵を深く思い、手術をしないで、痛みなく生涯を全うする道を選択されたのでした。連絡をいただいて私は直ぐ病院に駆けつけ、集中治療室で、そのご主人の耳元でヨハネ14:1の御言葉を読みました。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住まいがたくさんあります。…わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしの元に迎えます」

そのご主人は言葉を発する力がない中ですが、涙目で聞いておられました。

そのご主人に信仰を与え、やがて病から解放し、素晴らしい永遠の命の世界に導いてくださる神様の愛と恵みを深く思わされたしだいです。

医学の進歩と共に「延命」を計るのは当然ではあるでしょう。しかしどんなに処置を施しても、死そのものに勝利をすることはできません。「延命」に勝る「永遠の命」こそ素晴らしい死に打ち勝つ勝利の道ではないでしょうか。

どうぞあなたもまたこのような素晴らしい救いが聖書に記されていることを知られ、求めて行かれますように祈ります。

牧師 中西正夫



第107回 2011年8月のことば

「人は最期でさえやり直せる」      音声で聞く

淀川キリスト教病院の医師として活躍し、大阪で最初のガンの末期患者のためのケアー施設「ホスピス」を開設された柏木哲夫さんが書かれた本に『愛する人の死を看取るとき』がありますが、こう書いておられます。
「ホスピスで最後のケアを受ける患者さんの平均在院日数は約一ヶ月である。不安や恐れにおののいていた患者が立派に死を受け入れるまでに人間的成長を遂げる事がある。…人間の強さにまぶしさを感じることさえある。人は死ぬまで成長すると、つくづく思うのである」

何と言っても最大の不安、悲しみ、恐れは「死」でありましょう。元気な時は、やれお金だ、地位だ、健康だと高をくくっていた方が、死の前には何も通用しない現実におののかれるのです。

あなたはイザとなった時何を支えにしておられますか?
確かに私たち人間はどんな人も全てを無惨にも奪う死の前には余りに無力です。しかしそんなとき聖書を通して死に打ち勝つ永遠の命への希望を見いだすことができるのです。聖書の言葉にこうあります。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」
(ヨハネ3:16)

私は牧師として多くの方の死を看取ってきました。その中で、たとえ重い病に倒れることがあっても、最後の最後でまるで大勝利のように「死に打ち勝つ永遠の命」への希望に溢れて生涯を終える方のすばらしい死も見てきました。正に「人は最期の日でさえやり直せる」のです。

日本の夏はいわゆるお盆休みでふるさとに帰り法事を営む方も多くおられるでしょう。自分の死を考える良い機会です。そして最もよい備えを聖書に見いだされるようお勧めしたいと思います。
牧師 中西正夫

第106回2011年7月のことば

「大自然の作者」          音声で聞く

7月には休暇で自然に触れる方も多いだろうと思います。紺碧の青空やモクモクと沸き上がるような白い雲、どこまでも続く地平線、夜空に輝く満天の星々そして美しい花々…それらはストレスに囲まれた私達に、ひと時の癒しをもたらすオアシスのようです。
ところで幼い頃は、太陽も地球も月もはじめからあったように思っていたのですが、中学生になると、この宇宙が「一種の大爆発」によって存在したと教えられました。高校生になって私は聖書を知り、天地が単なる偶然ではなく、創造者である神の作によるものであることを知りました。でも当初はそれを読んでも、それが古代における一種の神話的表現ではないかと思ったものです。
ただ偶然にしては余りに見事な大自然であって、それを単なる「爆発」では到底、説明不可能という思いがあったのも事実です。
そんな頃、筑波大の遺伝子工学の権威村上和雄氏の論文を読み、「目から鱗」の感を抱きました。彼はこう書いています。
「細胞や遺伝子の中には人間業を越えた働きを見て感動した。少なくても人間の力とか業を越えた存在がなければ生き物は生まれないというのが実感である」
つまり現代の科学でさえ、大自然の作者を想定しているのです。そして聖書は力強く語ります。
「はじめに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)
これが始まりです。この始まりを間違えては行けません。ちょうど服のボタンを掛け間違うと、途中は上手く行くようでも、最後には上手く行かないように、人生にも最初に認めなければならないことがあるように思われます。人間がはじめではなく、神がはじめなのです。この「はじめ」の主人公のすり替えが、現代の問題の原因であるように思われます。
どうぞあなたの命の創造者である神を受け入れて祝福された人生をスタートしていただきたいと願っています。

第105回2011年6月のことば

「温かい言葉と思いやりの力」      音声で聞く

6月には「花の日」という日があります。第二週です。教会では病院や老人ホームなどに花を届けに行き、少しでも慰めになればと慰問に出かけます。

ある年のこと、教会学校の子供たちも加わって病院慰問に出かけました。あるおじいさんに子供が「おじいさん早く良くなってください」と言葉をかけながら、セロファン紙に包んだ一輪の花を手渡そうとした時、近くにいた看護士さんが「ああ、そのおじいさんは何にも分からないから、その辺のテーブルにでも置いておいて」と言ったので、子供はどうしたらいいのか困ってしまいました。それでも「ともかくおじいさんに一度手渡して上げたら?」と私の言葉を聞いて子供はニッコリ微笑みながら「おじいさん、早く良くなって下さい」と言いながら花を差し出したのです。すると反応のない筈のおじいさんが、ゆっくりゆっくり手を挙げて、その花をしっかり掴んだのです。それから、おじいさんは大声を上げて泣き出したのです。驚いたのはそばにいた先ほどの看護士さんでした。何の反応もないとずっと思っておられたからでした。

人はどの様な事に心を動かされ、生きる力を見いだしていけるのでしょうか。自分のガンバリも必要でしょう。しかしガンバリもなくなりそうなとき、回りに、もし温かい言葉や思いやりがあるなら、もう一度やってみよう、もう一度生きてみようという気になることができるのではないかと思うのです。
逆に「あんたなんかダメ、もうそこまでの人生よ」という言葉や思いの中でしか生きれないなら、生きる活力は出てこないでしょう。

生きることに疲れ、もうダメだと自分でも思う生活の中で、いつでも、そしていつまでも決してダメと烙印を押さず、いや却って生きる希望を語って下さるおかたがいます。それはあなたの命の創造者である生ける愛の神です。神は聖書の中でこう語っておられます。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
(イザヤ43:4)

あなたも、命さえ与えて下さるほどの神の愛をぜひ知られて、生きる力と希望をお知り下さい。
牧師 中西正夫

第104回 2011年5月のことば

 

「見上げてごらん」           音声で聴く

3月11日に起こった東日本大震災以降、様々なところで歌われている歌の中で、かつて坂本九さんが歌って大ブレイクした「見上げてごらん」があります。「見上げてごらん夜の星を」…耳にされた方も多いことでしょう。

人類の歴史の中で困難に直面し、科学や人間の知恵に行き詰まったとき、人は大自然をなぜか謙虚に見上げてきました。時代とともに人の英知も陰りを見せ、その結果、打ちのめされるような科学の限界を経験したとき、人は大空を見上げ、人間を遙かに越えた存在から学び、それによって希望の世界を信じて歩んできたのです。

今から3000年前、イスラエルにダビデという人物がいました。彼はまだ主君サウル王に仕えていた時代、今で言ういじめに遭い、洞穴に逃げ込むことも度々でした。そんなとき彼は夜空を見上げてこう言うのです。

「あなたの指のわざである天を見、

あなたが整えられた月や星を見ますのに、

人とは何者なのでしょう。

あなたがこれを心に留められるとは。

人の子とは何者なのでしょう。

あなたがこれを顧みられるとは」(詩篇8:3,4)

困難の時も、事態が動かないような悶々とする日々の中であっても、誰も守ってくれる人が居ないような孤独の時にも、ダビデは夜空を見上げることができたのです。「失望したければ回りを見なさい。しかし希望を抱きたければ、上を見上げなさい」とある人が言うように、ダビデは夜空を見上げ、満天の星々を仰ぎながら、全てを益に変える全能の神を信じて明日を生きていくことができたのです。そして艱難辛苦が見事に花を咲かせ、やがて彼はイスラエルの歴史の中で最も愛すべき王として活躍することになるのです。

見えるものが崩れていくこの大震災を生きる現実の中で、あなたは何に希望を見いだされますか?あなたも人や科学の限界を感じられたなら、あなたも「上を見上げて」生きる世界をお知りになりませんか。祝福をお祈りしております。


牧師 中 西 正 夫