淀川キリスト教病院の医師として活躍し、大阪で最初のガンの末期患者のためのケアー施設「ホスピス」を開設された柏木哲夫さんが書かれた本に『愛する人の死を看取るとき』がありますが、こう書いておられます。
「ホスピスで最後のケアを受ける患者さんの平均在院日数は約一ヶ月である。不安や恐れにおののいていた患者が立派に死を受け入れるまでに人間的成長を遂げる事がある。…人間の強さにまぶしさを感じることさえある。人は死ぬまで成長すると、つくづく思うのである」
何と言っても最大の不安、悲しみ、恐れは「死」でありましょう。元気な時は、やれお金だ、地位だ、健康だと高をくくっていた方が、死の前には何も通用しない現実におののかれるのです。
あなたはイザとなった時何を支えにしておられますか?
確かに私たち人間はどんな人も全てを無惨にも奪う死の前には余りに無力です。しかしそんなとき聖書を通して死に打ち勝つ永遠の命への希望を見いだすことができるのです。聖書の言葉にこうあります。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」
(ヨハネ3:16)
私は牧師として多くの方の死を看取ってきました。その中で、たとえ重い病に倒れることがあっても、最後の最後でまるで大勝利のように「死に打ち勝つ永遠の命」への希望に溢れて生涯を終える方のすばらしい死も見てきました。正に「人は最期の日でさえやり直せる」のです。
日本の夏はいわゆるお盆休みでふるさとに帰り法事を営む方も多くおられるでしょう。自分の死を考える良い機会です。そして最もよい備えを聖書に見いだされるようお勧めしたいと思います。
牧師 中西正夫
7月には休暇で自然に触れる方も多いだろうと思います。紺碧の青空やモクモクと沸き上がるような白い雲、どこまでも続く地平線、夜空に輝く満天の星々そして美しい花々…それらはストレスに囲まれた私達に、ひと時の癒しをもたらすオアシスのようです。
ところで幼い頃は、太陽も地球も月もはじめからあったように思っていたのですが、中学生になると、この宇宙が「一種の大爆発」によって存在したと教えられました。高校生になって私は聖書を知り、天地が単なる偶然ではなく、創造者である神の作によるものであることを知りました。でも当初はそれを読んでも、それが古代における一種の神話的表現ではないかと思ったものです。
ただ偶然にしては余りに見事な大自然であって、それを単なる「爆発」では到底、説明不可能という思いがあったのも事実です。
そんな頃、筑波大の遺伝子工学の権威村上和雄氏の論文を読み、「目から鱗」の感を抱きました。彼はこう書いています。
「細胞や遺伝子の中には人間業を越えた働きを見て感動した。少なくても人間の力とか業を越えた存在がなければ生き物は生まれないというのが実感である」
つまり現代の科学でさえ、大自然の作者を想定しているのです。そして聖書は力強く語ります。
「はじめに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)
これが始まりです。この始まりを間違えては行けません。ちょうど服のボタンを掛け間違うと、途中は上手く行くようでも、最後には上手く行かないように、人生にも最初に認めなければならないことがあるように思われます。人間がはじめではなく、神がはじめなのです。この「はじめ」の主人公のすり替えが、現代の問題の原因であるように思われます。
どうぞあなたの命の創造者である神を受け入れて祝福された人生をスタートしていただきたいと願っています。
3月11日に起こった東日本大震災以降、様々なところで歌われている歌の中で、かつて坂本九さんが歌って大ブレイクした「見上げてごらん」があります。「見上げてごらん夜の星を」…耳にされた方も多いことでしょう。
人類の歴史の中で困難に直面し、科学や人間の知恵に行き詰まったとき、人は大自然をなぜか謙虚に見上げてきました。時代とともに人の英知も陰りを見せ、その結果、打ちのめされるような科学の限界を経験したとき、人は大空を見上げ、人間を遙かに越えた存在から学び、それによって希望の世界を信じて歩んできたのです。
今から3000年前、イスラエルにダビデという人物がいました。彼はまだ主君サウル王に仕えていた時代、今で言ういじめに遭い、洞穴に逃げ込むことも度々でした。そんなとき彼は夜空を見上げてこう言うのです。
「あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは」(詩篇8:3,4)
困難の時も、事態が動かないような悶々とする日々の中であっても、誰も守ってくれる人が居ないような孤独の時にも、ダビデは夜空を見上げることができたのです。「失望したければ回りを見なさい。しかし希望を抱きたければ、上を見上げなさい」とある人が言うように、ダビデは夜空を見上げ、満天の星々を仰ぎながら、全てを益に変える全能の神を信じて明日を生きていくことができたのです。そして艱難辛苦が見事に花を咲かせ、やがて彼はイスラエルの歴史の中で最も愛すべき王として活躍することになるのです。
見えるものが崩れていくこの大震災を生きる現実の中で、あなたは何に希望を見いだされますか?あなたも人や科学の限界を感じられたなら、あなたも「上を見上げて」生きる世界をお知りになりませんか。祝福をお祈りしております。